長所でもあり短所であるのは「まいっか」で片付けてしまうところにある。
休日の午後、昼に起きて、ルースターズを聴きながらラーメンを作って食べ、赤ワインを飲もうかどうしようか悩みながらパソコンに向かっている。
初期のルースターズはやはり私にとっては心地の良いものである。
ロックンロールしているものもあれば、ヴェルヴェットアンダーグラウンドを思い出させてくれるようなものも。
ロックを聴きながら酒を飲むのがやはり休日の醍醐味だ。
そうそう、私は面倒臭くなると「まいっか」で片付けてしまう。
元旦那は「蓮ちゃん大好き!」が口癖のような人だった。
それが気づいたら言わなくなっていた。
正直言って私はそのことに傷ついていた。
一度だけ「なんで?」と訊いたことがある。
そしたらこう言われた。
「お互い様」
恐らく、「蓮ちゃん大好き」と言われたのに対し、私がこう答えたからだ。
「私は仕方なく一緒にいるのよ」
それは事実でもあり、強がりでもあった。
私はすこぶる我が儘な女なので、私が何を言おうが、「蓮ちゃん大好き」と言われ続けたかったのである。
しかし、元旦那にもプライドがあるのでそれを言わなくなった。
これはお互い様なのだろう。
そんなことを想い出させることがあって、やはり私って我が儘だよなと感じた。
もっとぶっちゃけると好きでもない人から「蓮ちゃん大好き!」と迫られるとたまにウザい時がある。
ところが好きな人からは「蓮ちゃん大好き!」を連呼されないと不安になって滅入る。
そしてそんな自分が面倒臭くなる。
これ、私だけじゃないと思いたいが、やっぱ我が儘だよね?
面倒臭いから「まいっか」で片付けようとするのだが、元旦那がいい例。
「蓮ちゃん大好き!」を言われなくなったのは私にも原因があるのかも知れないと考える。
相手にぶつけても返ってこないこともある。
言わなくなった理由があるなら言えよ!って思うが言わない。
そうすると、これ以上傷付いてはならぬという防御本能が働いて「まいっか」で終わらせる。
しかし、それは強がりであって本心はとても心細く寂しいもの。
「まいっか」の背景には面倒臭いのとポジティブさの両方が隠されているように思う。
だから気のせいかも知れない、はたまた、考え過ぎかも知れないとね。
こんなウジウジした一面は本来ならここに書くべきではないのかも知れない。
さらに極端なことを言うならば、「蓮ちゃん大好き!」を言わなくなった理由は大好きではなくなったからだと判断しがち。
つまり、元旦那が「蓮ちゃん大好き!」を言い続けていれば離婚はしなかったかも知れない。
もうこの人には私への想いがないのだろうと決めつけて離れる決断を下したからだ。
脆く壊れやすい人間とは極端な選択しかできないものだ。
生きるか死ぬかしか判断できない人もそうなのかも知れない。
結局「蓮ちゃん大好き!」を言わなくなった男のことが私は見えなくなる。
終いに怒りまで湧く。
これって不満タラタラなわけじゃん?
それをプライドと強がりで以て、気にしてませんというフリをしているだけじゃん?
そんな自分を保っていることに疲れてしまう。
もっと言うならば、鏡を見た時、笑顔に歪みがあることに気づいてしまう。
愛されたい気持ちはハングリー精神に変えて、もっと綺麗になってやろうと思えればいい。
ところが、私にとって最大の美容液とは「蓮ちゃん大好き!」の一言なのだ。
そして綺麗可愛いと言われて磨かれて行くものだと思っている。
一番最悪なのが、自分のことを褒めてくれる人の方が心地がいいからそちらへ行ってしまうことだ。
この手の話は「わかる~!」って人と苦手な人に別れるんだろうな。
「まいっか」で片付けるのは、女としては可愛げがないのだろうか?
強がりは男ばかりでなく女もするもんだ。