nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

極上の孤独

ゆっくりと風呂に入ってパックしながらこれを書いている。

連休ということで、久々にのんびりしている。

読みたい本も山積みなのだが、書きたいことも山積みだ。

毎日書いていてもネタが尽きないのは、天と会話できている証拠かも知れない。

介護職を始めてから、読書量が減った。

しかし、最近では読みたい本が机の脇に沢山あるので、買うこともない。

買うとしたら、化粧品ぐらいなものだ。

とにかく一冊ずつ片付けて行きたいと思っている。

 

 

ところで、何かに体当たりで死に物狂いになっている姿はどこかで誰かが見てくれていると信じたい。

私が慣れない介護の仕事で汗を掻き、テンパりながらも毎日悪戦苦闘し、フラフラで投稿を書いている姿をだ。

どこかで誰かが見てくれていなくても、天は見ている。

そう信じて、ストレスを感じながらも仕事へ行く。

勿論、金のために働いているのだが、それだけではない。

運を味方に付け、手繰り寄せるためにはこうするしかないのである。

宝くじでも当たって、毎日飲んで食って寝るだけの人に天は微笑むだろうか?

それなりの結果しか待っていないように感じる。

働けど、働けど、金というものは消えていく。

しかし、働いて消費して金を循環させることで、自分をも活性化できるものだと考えている。

 

 

天が喜ぶことを死に物狂いでやっていれば、それなりの出会いや引き寄せがある。

それが天からの贈り物だ。

私としては、全ての出会いに意味があるとは言わない。

中にはどうでもよくて下らないものもある。

見極めなくてもそのうち消えていくから心配する必要はない。

綺麗に淘汰されるものだから、でんと構えていればいい。

しかし、多くの出会いの中で消えない縁もある。

遠ざかろうとしても引き寄せられる運命にある人もいる。

半年間、一切の連絡を取らなかろうが想い合っていることもある。

そういう関係こそ、本物の「友」なのではないか。

そこには目には見えない糸があり、信頼関係があるのである。

上も下もない。

それなのにお互いに敬意を抱いている。

そんな関係は同士とも言える。

 

 

私はよく結婚が似合わない女だと言われる。

私としては、結婚を経験しているだけに結婚に幻滅などしていない。

出会いと別れの時期が良かったのか悪かったのか離婚はしたものの、別れてしまえば良いところしか思い出さないのが私である。

これから先、好きな人と結婚することはあり得ると考えている。

しかし、部屋を別にするか若しくは別居するかも知れない。

何故なら、私にとってはやはり書くことが大切だからだ。

大きな家なら、書斎を作ってもらうことだろう。

隣でテレビを観られるような環境は、好ましくないからだ。

私が望むべき愛の形は『運命共同体』である。

結婚に求めるものはそれでしかない。

だから相手に金が無かろうが、あまり気にならない。

それよりも、運命共同体なのだから現状をちゃんと話して欲しいと願う。

お互いに辛い時は助け合う。

いい波が来た時は、お互いに助け合って乗っかる。

結婚に至るまでの道のりが、遠距離恋愛だとか不倫だとか無一文だとかそういったことは弊害にはならない。

論点は、私のことをどれだけ好きで信頼してくれているかだ。

 

 

話は戻るが、私のそんな人生観についても天が授けたと言っても過言ではない。

問題は『適切な距離』だとさえ私は思っている。

友情にも愛情にも、お互いの世界観があればあるほど保つべきものがある。

逆に言えば、相手を重んじるなら『適切な距離』を置くことこそが相手を守ることに繋がるということかな。

私はそれを『極上の孤独』と呼んでいる。

『極上の孤独』とは、一人で成すものではなく、相手がいてこそ初めて生まれるもの。

そんな『極上の孤独』は、成長を願う人間にとっては究極の形かも知れない。