nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

椅子から転落した

職場で昼食後、任務に戻り洗濯物を干そうとして椅子から転落し転倒し、後頭部と背中を強打した。

頭を打ったので、しばらくクラクラして目眩がしていた。

腕はしびれるし、ちょっとヤバいかなと思ったが、一番痛かったのが背骨。

もしかしたらヒビが入っているかも知れない。

というのも、椅子によじ登って洗濯物を干そうとしていたために、椅子から転落した時、椅子の手すりに背中を打ったのだ。

それが痛いのなんのって。

この事故が労災になるらしいので、労災対応の病院に行くことが先決だ。

近所に整骨院はあるのだが、労災対応の総合病院へ行って、頭を強打したことも話してこようと思っている。

もしかしたら、状態の程度によっては、仕事を休まなければならないかも知れない。

ここ最近、正社員の女性スタッフは私が仕事を覚えてきたことをいいことに、有給を使いまくっている。

息子さんと好きなミュージシャンのライブに行くとのことで、とても楽しみにしている姿を目の当たりにしている。

本当に申し訳ないと思う。

しかし、とある人に依れば、せっかくチケットが取れたんだから行かせてあげたいと無理して仕事をするのはお人好し以外の何者でもないという。

もっと言うならば、愚かだと。

ちょっと痛いところはあるけれど、無理してでも職場に貢献していた時代はとっくに終わっているのだという。

確かにそうだ。

私は不注意から身体を痛めてしまったけれども、チケットが取れたと喜んでいる姿が想い出され、心を痛めている。

しかし、それはお人好しを通り越して、単なる馬鹿なんだろうな。

 

 

私が育った時代は、「痛い」なんて言い訳にもならなかった。

ブラック企業でばかり働いていたからそう思うのかも知れないが、無理し合って、譲り合って、みたいな時代だった。

「痛い」なんて言い訳にした日には、根性なしとみなされた。

ダサかった。

弱虫だった。

痛いのを多少我慢してでも仕事に生きる姿がカッコいいとされた。

そんな影響もあって、私は正社員でもないのに、なんとなく「痛いから休みます」が言えない人間に育ってしまったらしい。

時代遅れも甚だしい。

労災が下りたら給料がどれだけ保障されるかなど、まだ調べていないのでわからない。

一週間程度で治れば、全ては丸く収まるのだが、私の知人はこういうのだ。

 

「もらうものはもらわないと後から不満が出る」

 

あの時、私は背中が痛かったのにもかかわらず、先輩をライブに行かせてあげたのにどうして理不尽な扱いを受けるのだろうみたいな。

だったら、最初っから、きっちり休めばいいのだ。

全く、鼻を啜るだけで背中が痛いぜ。

 

 

私ってヤツはいい人ぶるつもりは毛頭ないのだが、本当にお人好し。

あれだけ行きたくなかった仕事を休めるチャンスが来たのに、どうやったら仕事へ行けるだろうかと考えてしまっている。

しかし、ものは考えようだ。

新作『もち吉の願い』を書き進めるタイミングが訪れたのだとも言える。

以前、こんなことを書いたかも知れない。

私は職場が好きなのではなくて、働いている自分が好きだと。

背中が痛いくらいでどれだけ休むことになるかは定かではないが、働かない自分と折り合いをつけて執筆に専念するのも今となってはちと難しい話でもある。

そうそう、このタイミングで土曜日の夜はインスタライブだ。

病院へ行った結果、どうだったか報告ができると思う。

せっかくの休みに病院かよ。

もしかしたらしばらく職場へ行かないかも知れないという感覚がまだない。

頭の片隅では、先輩にはライブへ行ってもらいたいな、などと考えている大馬鹿野郎がここにいる。

お人好しと呼ばないのであれば、何というのだろうか。

全く、呼吸しただけで痛いものは痛い。

ピンチはチャンスなんだけどね。