どうやら気合いが入ったようだ。
小さなボリュームで昔のハードロックを流しながら、自分の過去作品を手に取って読み耽っていた。
誰に言われたわけでもない。
私がこういうことをし始める時と云うのは、スイッチが入った証拠。
見事に集中しページをめくることができた。
つまり、精神の静寂が訪れたのだ。
随分と長い間読み耽っていた。
新作を書き始めたのはいいが、なかなか先に進まない私に誰かの声が聞こえた。
いや、ハッキリとこう言われたのだ。
「短編集を書いたら?」
まさか、まさかでしょう。
最近スランプに陥っている私は、思考のアウトプットはできていても「創作」からは遠ざかっていた。
しかし、過去作品を読んでいたら、眠る才能に気づいた。
本来持ち合せている私のセンスはこんなものではないと。
それと同時に物足りなさを感じてしまった。
物語になるような男がいないことにだ。
いつか誰かが言っていた。
待っていても来ないとね。
待っているつもりは更々ない。
前にも書いたが、狙いを定めれば一直線なのが射手座の特徴。
どこかに誰かいないのだろうか。
思わず小説に書きたくなってしまうような人。
もはや、寂しいとかそんなことではない。
物語が書きたいだけ。
ちょっとは芸術を志す人間っぽくなってきただろうか。
ハードロックはまだ流れている。
なんだか新作は長編ではなく短編の方がベターと考えたら急にワクワクし始めた。
そのための努力ならば、惜しまないとこの場で断言できる。
全部詰め込んで長編小説にしようとするから気が乗らないのだ。
駆け抜けた時代をより色鮮やかに、かつ、衝撃的に描き出すには、確かに短編集の方が面白い。
最近私が身をもって体験したことは、ワクワクしないものには手を出さないということだ。
逆に言えば、ワクワクするものにはそれなりの理由がちゃんとあると云うわけで。
ワンシーンを丁寧に描写して行くので、もしかしたら私はそっちの方が向いているかも知れない。
急にヤル気になってきた。
白紙に向かおうという気分。
私という人間は単純にできている。
うん、音楽はまだ流れている。
描きたい時代背景にタイムスリップするのが一番いい。
その頃の感覚を取り戻せるからだ。
流行った音楽、よく聴いてた音楽、もらったCD、教えてもらったミュージシャン。
私は小説を書くにあたって色んな作家の本を読んだりしない。
描きたいものは蓮ワールドなのだから。
世界観も文体も、唯一無二。
その代わり私はとことん音楽を聴く。
ロックだけではない、ポップスも歌謡曲もクラシックも聴く。
そうやってじっくりとその瞬間を思い出して書く。
実はフィクションを書くこともある。
まぁ、何が面白いかは人それぞれだが、網羅して行くとそれぞれの作品に想いがあるようだ。
とはいえ現在はフィクションの短編集は販売していない。
『もち吉』の物語は私なりに「創作」した実話にしようと思っている。
机の上にティッシュペーパーを用意して、いつでも涙が拭けるようにした方がいいだろう。
音楽?ボリュームを上げてやった。
気合いが入ったところで、職場復帰かよ。
一度書いたものを白紙にして、また一から書き直そうかな。
短編となると構想がまた変わってくるわけで、それもアリかも知れない。
さて、コルセットを巻いて仕事へ行く。
行ってみて、居場所があるのかどうか確かめてくる。
一体どんなシフトが組まれているのか。
与えられたシフトをこなすことができるのか。
不安の中に若干の寂しさと諦めが入り交ざったような感覚。
大丈夫だ、どんな時でも音楽は流れている。
背後にも、心の中にも、重低音は鳴り響いている。
深呼吸したら背中が痛むけれども。
音楽はこれからも流れて行く。