池袋から少し離れた『桜台』にあるとある出版社を訪ねた。
当然のことながら、私は鞄の中に小説『ロックンローラー』を忍ばせて行った。
そして何気なく社長にお渡しさせて頂いた。
出版社へ行くのに自分の本を持参しないヤツは阿呆だろう。
本来は私以外の四人でトークイベントをするらしかった。
ところが、社長の手元には『ロックンローラー』が。
話の中心は気づいたら私になっていて、インタビュー動画を収録してくださるという奇跡的な流れとなった。
勿論緊張したが、約一時間に及ぶ動画を収録して頂いた。
内容は、私が文章を書き始めたきっかけや、『ロックンローラー』のポイント、将来のビジョンなどだ。
全てはホステス時代にお客さんからパソコンをもらったことから始まったなど、質問に対して正直に答えた。
あっという間の一時間。
とても楽しい時間を過ごすことができた。
『ロックンローラー』を多くの人に知ってもらうチャンスときっかけを与えてくれた社長や仲間に感謝している。
収録を終えて、桜台駅前でサーモン丼を食べて、どこへも寄らずに帰宅した。
肋骨は痛いし、頭痛、めまい、耳鳴りがした。
恐らく休職が長引きそうなのと、様々な不安から来ているのだろう。
めまい、耳鳴りなど初めてのことなので、少々戸惑っている。
私ってこんなに弱かったっけ?
いや、繊細なのだ。
帰宅してから、職場の先輩に電話を掛けた。
先輩は私が出社した日はお休みだったのだ。
だから報告をしなければならなかった。
先輩の話によると、利用者さん達は心配してくれているとのことだった。
特に私が椅子から転倒し、背中と頭を強打したことを知っている方々は先輩の顔を見るなり「橋岡さん大丈夫?」と訊くのだとか。
「いや~、職場に行ってみて何もできないことがわかりました。いつまでに治るかはわからないけど、長引きそうです」
「そっかぁ~、仕方ないねぇ。皆、待ってるわよ」
その瞬間、目がうるむのがわかった。
しかし、泣いている場合ではないので、私は続けた。
「施設長にはこう言って戴きました。仕事と身体を天秤に掛けた時、身体を取らなきゃダメなんだぞ、と」
「じゃあ、やはりしばらく休みましょうよ。ちょこちょこ連絡するから」
「本当に申し訳ないです。ありがとうございます。くれぐれも皆様に宜しくお伝えくださいませ」
そう言って誰もいない部屋で深々と頭を下げて電話を切った。
ふぅ~、ため息をついてタバコに火を付けた。
不安と焦りからくるメンタルの不調に気づいた。
心の奥底では、安心したいと叫んでいる。
とはいえ、いつ治るかなんて誰にもわかりやしない。
いつ職場復帰できるかなんて、未知なのだ。
恐らく年内は無理だろう。
先日も述べたが、結局私は書くしかないのだ。
そこで考えたことがある。
今抱いている不安や焦り、遣る瀬無さ、悲しみ、怒り、全て小説にしてしまえばいいのではないだろうか。
これは「今」しか書けない。
世の中には、怪我や病気で休職している人が五万といる。
短編集なのだから、色んな物語があっていいわけだ。
それしかない。
やるしかない。
体調の悪さも、精神面のバランスを崩していることも、書くしかない。
その原稿が、後の私を救うきっかけになるかも知れない。
私って云う人間はいつもそうやって自分の原稿に救われながら生きてきたじゃないか。
涙が出そうだが、泣いてはならぬ。
いや、泣いたっていいのだ。
そうやって泣きながら書いた原稿は、私の財産になるに違いない。
何度も何度も『破壊から再生へ』の原稿を読んで前に進んできたように、これから書く原稿はきっと私を救う。
私を救うと云うことは、目には見えない誰かを救うことになる。
そんなことを考えながら、私はパソコンに白紙を用意した。