nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

忘却の力

北千住で昼飲みをしてきた。

とても暖かく春のような陽気だった。

はしご酒したかったが、早めに解散した。

私は自宅の近くの蕎麦屋かき揚げそばを食べて帰った。

頭がガンガンするのでがばがば水を飲み、横になったりしながら酔いを醒ましてパソコンに向かっている。

頭はまだ痛い。

待ち合わせまで時間があったので、パジャマが欲しくてユニクロへ行った。

ところが欲しいものが四千円もしたので買わずに店を出た。

ここまで暖かいと冬用のパジャマを買うのをためらうが、あと三ヶ月は使うことになるだろう。

今はまだ一月なのだ。

まぁ、来週からはまた寒くなるようだが。

鹿児島の『くじら』という芋焼酎がめちゃくちゃ美味かった。

ロックで何杯飲んだだろうか。

四、五杯飲んだかも知れない。

そりゃ酔うよな。

 

 

私って言いたいことを何でも言っているようで、肝心なことは言えていないよなと思うことがある。

して欲しいこと、して欲しくないことについて、どうして言えないのだろうか。

後になってから、あれを言っておけば良かったとか後悔することもある。

ただ、口にできなかったことは言う必要がなかっただけ。

そして胸のうちにしまい込む。

そのうち気が向いたら伝えようと思いながら、忘れていくのである。

忘れるということは、大したことではなかったということ。

それとも大事なことまで忘れてしまっているのだろうか。

そんな時、タイミングが合わなかっただけだと言い聞かせる。

実に都合良くできている。

これぞまさに『忘却の力』だ。

 

 

こうして毎日一定量の文章を書いていると、大抵のことは『日記』として記録していることになる。

読み返せば思い出すことだらけだが、ほとんどは書くことで消化してしまっている。

朝になってアップした後、何を書いたか思い出せなくて読み返すことが多い。

それだけ書くということは、私にとってストレス発散に繋がっているように思う。

その代わり毎日書いているので、過去を振り返ろうと思えば簡単にそれができてしまう。

書いたものをさかのぼればいいからだ。

頭の中は『忘却の力』で嫌なことは時間と共に忘れている。

それなのに過去の『日記』は否応なしに思い出させる。

こんなことで嫌な想いをしたんだなとね。

忘れてもいいはずのことを、あたかも忘れてはならないと言っているかのように。

まぁ、そこから作品が生まれたりするので、否定的にはならない。

 

 

最近、新作を作るにあたって過去の『日記』を開いてみることがある。

すると私は完全に想い出を美化していたことに気づく。

嫌だったこと、悔しかったこと、全部書いてあるじゃないか。

逆に楽しかったこと、嬉しかったことはあまり書いていない。

書き留めておきたいことは、マイナス要素のことの方が多いからだ。

なかなか直接やめて欲しいと言えないから『日記』上で吐き出しているのだと思う。

つまり、楽しかったこと、嬉しかったことの記録がないから必死に思い出そうとしているわけだ。

私の場合は、その作業は割と簡単である。

記憶としてはいいことばかり覚えているからだ。

とはいえ『日記』を書く時は、マイナス要素を書き殴っている。

忘れないように、いつか思い出せるように。

まるで証拠を残すための作業かのようだ。

それを毎日投稿にアップする私も私だ。

私の周りにいる人やパートナーになる人は、下手なこと言えなくなるだろう。

しかし、私の持論はこうだ。

 

「書かれて困るようなことはするな!」

 

怖っ!!!

だから周りの人は一定の距離を保とうとするのだろうか?

なんとなくわかったような気がする。