nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

勝ち取ったものなのに

二度寝してしまったので、一日が短く感じる。

これから『ロックンローラー』の挿入写真を撮ってくれた写真家さんの展示会へ行く。

場所は北千住。

また北千住へ行くんかい!

ええ、行くのである。

ただ、夜は整骨院へ行かなければならないため、あまり飲めないのだ。

とはいうものの、軽く飲んで展示会へ行かなければ損した気分。

遅い昼ごはんを北千住駅の回転寿司で済ませようかと考えている。

その店に行ったことはない。

看板を見たら、そこそこ安かったので行ってみたいだけ。

四、五皿食べてビールでも飲んで展示会場へ向かおう。

なぜ路地裏じゃないかと言うと、路地裏に足を踏み入れてしまえば整骨院をキャンセルすること間違いなしだからだ。

写真家さんと久々に飲みたいのだが、飲み始めたら恐らく終電まで飲むだろう。

整骨院は行かなくては。

 

 

今朝、寝ぼけた状態でふと考えたことがある。

私にとって自由とは最初から与えられたものではなく勝ち取ったもの。

私にあるのは自由のみだと言っても過言ではない。

しかし、そんなに尊いものなのだろうか。

あてもなくフラフラできることは価値のあることなのだろうか?

仮にフラフラできなかったとして、失うものはあるのだろうか?

もしかしたら、大したことではないのかも知れないと気づいた。

まさか、これもないものねだりなのか。

私は一人暮らしにしては、皆さんのお陰で規則正しい生活を送っている。

深夜に寝ることはほぼなく、朝も二度寝はするものの五時に起きることが習慣となっている。

肋骨を怪我したお陰で、酒の量も減った。

介護職を辞めさせられたこともあり、日中は極めて自由に生活できている。

唯一自由を感じることは、帰りの時間を気にせずに遊べることくらいだ。

男ばかりの飲み会にも参加できることもある。

その程度の自由のために、大切なことを犠牲にしているような気がしてきた。

大切なことって何だろう。

それは、人と触れ合う温もりみたいなものだ。

会話一つ、挨拶一つ、笑顔一つだ。

確かに味気ない生活といえばそうかも知れない。

音楽聴き放題なのはいいけどね。

 

 

一人でも気楽でいられるのは平和な証拠。

私が日本を出たことがないことにも通じるかも知れない。

一人で生きられると思っているのは世間知らずの証拠。

いやいや、小難しく考えることじゃない。

好きな人ができたら、その人のことが欲しくてしょうがなくなるだろう。

理屈ではなく、本能が暴れ出すだろう。

一人の生活に満足なんてしていられなくなる。

そう考えたら、こうしていられるのも今だけだよな。

楽しまなきゃ損だ。

よし、ポジティブさが戻ってきた。

何もかもが、今しかできない素晴らしいことかも知れない。

未来を想像しすぎて今を楽しめないなんて、私らしくない。

この生活を始めてちょうど一年になる。

さて、どうやってこの生活を楽しめばいいのか?

本棚がなくて、手持ちの本はダンボールに入っている。

だからダンボールが未だに丸裸でリビングに置いてある。

なぜ本棚を買わないのか理由がある。

買ってしまえば、大きな荷物が増えて、どこへも行けなくなりそうだからだ。

だからデスクも買わない。

やはり私にとって自由の象徴は北千住でたらふく飲んで金を使っても誰にも文句を言われないことかも知れない。

でもさ、ウズウズするのさ。

もっと、もっと、もっと自由を感じたい。

そのためには果てしない寂しさも同時に感じる必要がある。

飽きるほど自由と寂しさの間を行き来しているうちに、どこかに辿り着くだろう。

それはまだ見たことがない世界へ。

様々なことに感動し、それを守ろうとし始めるのかな。

ここまで書いて、やはり迷う。

展示会の後に飲むか飲まないか。

整骨院は行かなくては。