ずっとずっと闇だった。
人生パッとしなかった。
だけど、何かにこう書いてあった。
『若い頃は遠回りの人生を歩む』
それを見た時、私は思った。
そうか、今はまだ遠回りしているのかと。
それを読んでから、私の意識は大きく変わった。
まだ見ぬ未来を待ち焦がれるようになった。
照準を合わせて、あと何年、あと何年ってね。
そうしてやっと辿り着いたのが今年である。
私の計算上では、やっと闇に光が差し、幕が開けたことになる。
長かったぜ、ずっとずっと待っていたぜ。
そう、今は夜明け前の静かな時。
闇や下積み時代を知らない者は、説得力に欠ける。
今の私が海外出版すると言ってもほぼスルーされるが、新人賞受賞した後だったらどうよ?
皆が応援してくれるようになるに決まっている。
海外出版に向けて、去年からコツコツと翻訳作業を行っている。
それはどういうことかというと、そろそろ幕開けするという計算の元に、爆発的に噴火する前から準備していたということ。
いざ、世に出た時に、幾つものアイテムを持っているか否かでは大きな差が出る。
そこまで考えて、下積み時代を有効活用していたことになる。
私ごときの頭でもそこまで計算しながら生きていくことはできる。
頭の良い人ほど情報に左右される。
アンテナより、情報収集に精を出すからがんじがらめになっているように見える。
売れないから本を出さないとか、どうせ売れるわけないとか。
売れるような未来を『創造』しようとなぜ考えないのか。
常々言っているが、未来は自分である程度決定してしまえばいい。
そこから逆算して『今』やるべきことをリスト化すればいい。
簡単なようで難しいことかも知れないが。
そんな私には最大の弱点がある。
認めたくはないが、それは『酒』である。
サラリーマンではなくフリーで生きているので、金銭感覚が狂いがち。
金もないのに新作の発売日を決めてしまい、制作に励んだりしている。
来月の生活が保証されていないのに、飲みに行ったりしてしまう。
ただ、なんとなく思うことがある。
わかりやすく言えば、金は天下の回り物ということだろうか。
私などは常に投資しながら生きている。
この金は投資したと納得できるものはいいが、飲み代など、浪費としか思えないことも多々ある。
前にも書いたかも知れないが、その金があったら美容室代など屁でもないわけで。
居酒屋は私の第二のホームであり居場所であるというのは、言い訳かもしれない。
友と飲む酒ならまだしも、一人で飲み歩く酒はいかがなものか。
先日も回転寿司から出た後、吉野家が目に入った。
百メートル歩くと日高屋が目に入る。
たった五百円で腹ごしらえできたのではないかと思うと、激しい自己嫌悪に襲われたりする。
大して美味くもない寿司ネタのために、千円札を何枚出したことか。
いやいや、そうやって運を手繰り寄せていると考えるのは無謀だ。
ただの浪費じゃないか!
そう思ってからしばらく落ち込んで、自炊しているのだから笑える。
貯金の残高を見るのが急に怖くなったりして。
先のことを考えれば、金はあってもあっても足りないわけだ。
新作の発売、海外出版、蓮’sbarの開店、気が遠くなるぜ。
しかし、あと先を考えず遊びまくったことはマイナスばかりではない。
今更反省しても仕方がないのかも知れない。
私などは金もないくせに旅へ行こうとしている。
帰ってきたら稼げばいいという考えだからだ。
節約して金を貯めているうちは、おそらく旅にも行けないだろう。
ミッシェルガンエレファント聴いたり、モッズ聴いたりしながら角ハイボール飲むことが仕事みたいなものだ。
『俺がいるだけお前がいるだけ』
それさえわかっていれば、無敵だと思うのは私だけだろうか。
せめてお前だけはわかってくれよ。
遠回りしているだけだってね。