nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

この世の果てにあるお花畑

御嶽山では野菜を中心とした御料理だったので、帰ってきていつものジャンクフードが新鮮に感じた。

コンビニの明太子マヨネーズおにぎり、焼鳥、タンチキ、そして角ハイボール

二日間食べなかっただけで、こんなに美味く感じるなんて。

コンビニへ行く途中にも空が澄み渡っているのを実感した。

旅行へ行くと行かないでは大違いだった。

青空も太陽も、細切れの雲も、私に挨拶をしてくれる。

御嶽山ではありがとう!ってね。

そのような『天』からの声が私に聞こえるようである。

あんなにイライラしていたのにケロッとした。

やはり、天と手を取り合えた証拠だと思っている。

 

 

さて、実は来週は出版社との打ち合わせがある。

とある方から紹介してもらうことができたのだ。

どうしても原稿を読んでもらいたいので、一日かけて原稿づくりをしていた。

読んでもらえる可能性は、打ち合わせの後になるが、当分の間は仕事とバイトで休みがない。

だから『今』しかなかったのである。

ここまでスケジュール的に追い込まれると、私は強い。

何がなんでも『今』やらなければならないからだ。

仮眠時間を取らず、一気に進めることができた。

だが、久し振りの友達に会う用事ができたのもあり、大掛かりになりそうなところで手を止め、シャワーを浴びた。

出版社の担当者には自信を持って、この原稿を渡したいと思っている。

ベクトルが同じであり、ウィンウィンの関係になれることを願う。

大プロジェクトが始まりそうで、ドキドキしている。

タイトルなどは出版社が決めるだろうが、私の中でも一応考えた。

 

『この世の果てにあるお花畑』

 

これがどう変わるかはわからない。

ただ御嶽山から帰宅した私に舞い降りてきたものがこれだった。

ちょっと長いかな?とも思うが、悪くはないような気がする。

『お花畑』とは、文字の如く、皆の愛に包まれて私は幸せで笑っているイメージ。

そう簡単には辿り着くことができない世界なので『この世の果て』としたのだ。

更なるイメージとしては『ハスの花』である。

滅多に咲くことがない、とても貴重な花である。

この世の果てにあるお花畑へも、滅多なことがない限り行くことができない。

天国の手前に位置する『楽園』みたいなものだと想像してもらえればいい。

苦難を乗り越えた者にしか辿り着くことができない境地。

それが『この世の果てにあるお花畑』なのだ。

却下されるかも知れないが、一応提示してみることにする。

私だったら、このタイトルを見ただけで手に取るけどね。

 

 

いよいよ車輪が動き始めることになる。

結果はさておき、私は出版社から断れる気がしない。

これは予感というものだ。

根拠など持ち合わせてはいない。

しかし、万が一契約が成立すれば、それは凄いことである。

何故、ここまで来れたかと考えた時、やはり下積みしてきたからだ。

毎日投稿を書き、コンスタントに作品を発表してきたからだと思う。

内容云々ではない。

私のパワーと熱量が引き寄せの法則によって導かれたのではないだろうか。

私はそのように思っている。

『お花畑』が幸せの象徴ならば、闇から抜け出し、光が差し込み、まさにこれから全てが始まるといったところだろう。

つまり、『お花畑』は近いということだ。

作品の中に出てくるワンシーンを自分で読み返していて、再認識したことがある。

私が求めているものは、真面目さと一途さであって器用さではない。

だから一人で生き生きしていられる人より私に照らされて生きるような人を望んでいる。

私がその人を押し潰してしまわないように優しさを持たねばならない。

繊細さを最大限に発揮させれば、せめて隣人へは優しい気持ちになれるのではないだろうか。

それが『お花畑』への第一歩のような気がした。