nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

文章にマニュアルはない

新宿の喫茶店で出版関係の方と打ち合わせをさせて頂いた。

私としては、自費出版はもはや最終手段だと思っている。

この七年間、散々と自己投資をしてきて、本も数冊発表した。

新人賞の受賞をきっかけに、是非とも商業出版したいところ。

その理由と意欲を語ってきた。

私より一回りは若い女性だったのだが、彼女も本を書いたことがあるとのこと。

ましてや、文学部を卒業しているそうだ。

饒舌ににこやかに語る私に素朴な疑問を抱いたようだ。

 

「橋岡さんは今までどのような人生だったのですか?」

 

私は躊躇することなく、ありのままを手短かに答えた。

 

「所謂、労働者でした。工場や魚屋、ゴミ処理場や競艇場など低賃金で働いていました。ただ、ホステスも経験しています。自分を知り、相手を知り、セルフプロデュースしながら自分の良さをアピールしていくのは、本を書くことに直結していると思います。文筆の経験は、全くありませんでした。本を読むことも少ないし、文学とは無縁の生活を送ってきました」

 

彼女の顔には、『今までにないタイプ』と書いてあった。

だけど、これが私の全てと言っても過言ではない。

 

 

私は文章を書く上で、読んでくれている人のことを思い浮かべて書くことが多い。

千五百文字の中でも、この部分は蓮ワールド初心者向け、この部分は期待に応え、この部分は読んでいない人が万が一読んだ時のための補足、という風に読み手の気持ちにある程度沿っているつもりだ。

俗に言うところの『構成』や『プロット』や『マニュアル』などはクソだと思っている。

はっきり言って、マニュアルがないと書けない人は、才能がない人だ。

『シンデレラストーリー』などと言って、起承転結の流れまでマニュアル化している人も多いみたいだが、そんなもの自分で組み立てろと言いたい。

でもできない人が多数、どうせ書くなら売れたい、共感されたい、成功したい、つまり損をしたくないのだ。

 

 

書いても書いても読み手に伝わらないという経験を何度も何度も踏んできた人は、伝え方が段々と身に付いてくる。

頭で書くのではなく、血で書くのだ。

魔女の宅急便』でキキが、似たようなことを言っていて、私が文章を書くことと同じだと思った。

理屈ではなく、身体が勝手に動くようにならなきゃダメなのだ。

頭の中で考えることは、書き方ではない。

自分の想いと読み手の気持ち、それに尽きる。

この世に完璧な文章が存在しないのは、全ての読み手の気持ちを汲んだ文章は書けないからだ。

一度ウケたことを二度目にやれば、それは狙っていると見抜かれる。

褒められたことだって、再び書けば、成長がないと言われて終わる。

 

 

一つ言うならば、私は個人的には『求心力』が大事だと思う。

自分の文章や自分自身に自信がない人は、求心力を持てない。

だから弱った文章になる。

とはいえ、偉そうなことは言えない。

あくまでも個人的な経験から思い当たることを述べているに過ぎない。

余談だが、私は隣人より目に見えない読者の気持ちを考えることの方が多い。

顔が見えない分、動物的勘で『察する』しかない。

今回は二十日の会議の結果を書くと思っていた方が多いかも知れない。

こうして期待を裏切るのは意図的ではなく、天使のいたずらだ。

神のきまぐれか、まだ結果を知らされていない。

 

 

とか何とか言っても、会社ではマニュアルに忠実に仕事をしている。

会社でオリジナリティを出そうとするヤツは、日頃オリジナルで勝負していない証拠。

会社にのみ遣り甲斐を求め、己の実力を他で発揮していないのだ。

様々な仕事でオリジナリティを追求してきた私だから言えること。

陰でオリジナルの文章を書いているからこそ、会社では会社のルールに従えるのだと思っている。