十一連勤の初日から風邪ひいて、昼休みに薬局で風邪薬を買って凌いだ。
こんな日は早く帰ろうと思ったら、電車が遅延。
かなり日暮里駅で待たされた。
コンビニで定期便のサプリメントを受け取り、支払いを済ませた。
そのついでに夕飯を買った。
カルビスープを食べながらこれを書いている。
なかなかのクオリティにびっくりした。
コンビニ飯でここまで美味いなら、自宅でコンビニ飯で夕飯を済ませるのも悪くない。
時計を見た時そう思う。
ましてや、十一連勤初日の夜。
早く帰ってこれたことに安堵する。
人間って何を基準に人を信頼し、また、不信になるのだろう。
ほんの些細なことだと思うが、昔より我慢しなくなったかも。
簡単に自分の中で見切りをつけるようになった。
何故なら、この人ダメかも?と思ったら、そこから復活することはほぼないからだ。
とか言いながら、私もたまに優柔不断になる。
あれ?
やっぱりいい人かも知れないとか、やっぱりちょっと好きかもとか、やっぱりちょっと好きでいて欲しいとかね。
だが、大抵は振り出しに戻ってしまう。
この人ダメかも?と思った時に。
あの日あの時の『勘』は間違ってなかったと。
危なかった、見誤るところだった。
そんなことは日常茶飯事。
かといって、パーフェクトな人間はいないのだから、抹消しないで適度に付き合うのが大人なのか?
仕事をしていても、電車の中でもそんなことをぼんやりと考えていた。
なんとなく許したくないことってある。
それは誰も気づかないくらい些細なことだったりする。
でも私の中では決定的なこと。
普段なら「まいっか」で片付けてしまうことをスルーできなかったりする。
恐らく、決定的なのではなく、天からのお告げなのだろう。
そっちへ行ってはいけないよ、という忠告なのだろう。
そんな大切なことに気づいた時、真面目に生きてきて良かったなどと思う。
真面目というのは個人差があるが、私は自分の気持ちにだけは正直に生きているつもり。
仮に他人に嘘をついても、自分を責めなくなった。
他人にまるっきり嘘をつかないことは、むしろ不自然だと思うからだ。
腹の中にあるものをどストレートに口にするのは罪である。
言わないのが優しさという場合もあるし、適当に誤魔化すのが良い時だってある。
そう考えると、私はなかなかのペテン師だ。
ただし、自分の気持ちにだけは正直でありたい。
でも、我慢したり、強がったりするってことは、正直にもなり切れていないということだ。
正直者というのは、時には空気が読めない痛いヤツでもある。
例えば、営業の仕事をしていて、怒りをお客にぶつけてしまうのは愚かだ。
はらわた煮えくり返っていても、冷静を装わなければならない。
ほらね、どこにでも転がっている『偽善』。
じゃあ私は偽善者かと言えば、そうでもない。
散々考え抜いた挙句、直観に従うタイプでもある。
なんとなく違うよなぁ~、と思った感性は胸に閉まっておいてある。
再び、なんとなく違うと感じた時、胸の奥から取り出して自分を納得させる。
やっぱり違うんだよ、とね。
自分が偽善か正直かなんて、判断できないものかも知れない。
ただ、気が向かないことは極力しないように努めている。
私の中にある中途半端な優しさが、相手に目をつむり、寛大になろうとする。
やばい、抽象的過ぎただろうか?
優しさなんていう引き出しは持たない方が優しさなのかも知れない。
心はゼロか百で答えは出ているのだから、冷たいくらいでいい。
好きな人のことは大事にするが、そうじゃない人とは縁を繋ぎたくない。
うん、今日の私は極めて抽象的。
はっきり言及しないのもまた、要らぬ優しさであり偽善なのかも知れないが。
終わりを回避するように、終わりへ向かおうとする。
ほらね、やっぱり偽善者か?
いや、自分の気持ちに正直になったまでだ。