nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

努力の矛先とは

仕事後、打ち合わせがあり、時間潰しのためにまたプロントに寄った。

当たり前のことをマニュアル通りやっただけなのに、皆の三倍以上の数字を叩き出した。

すると、何かズルでもしているのでは?と疑われた。

こいつらには、やはり信用信頼されていないのだなと思った。

しかし、私はこいつらにどう思われようが痛くも痒くもないことに気づいた。

来月からドコモの販売員になる私は、奴らとは無縁の人になるからだ。

そういう意味では強気でいられる。

どう思われようが、何を言われようが、自分の仕事を淡々とこなすだけである。

私だって、何故、こんなに数字が出たのか不思議だ。

運だろう?!

まぁ、それも実力の内なのだろう。

異動が決まっているので、もはや、達成感はないに等しい。

ただ、ムキになって、私を睨みつけたり、無視したりする奴らは何もわかっちゃいないなと思った。

そんなんだから契約取れないんだってば。

 

 

たまにタイミングを見誤る人がいる。

もしくはタイミングよく事が進んだことに安堵して、努力しない人もいる。

もっと言うならば、努力をはき違えている人もいる。

私の望んでいることを努力してくれる人って少ないものだ。

だからそういう人のことは大事にしなければならない。

それはわかっているからこそ、大事な人のために誰かが犠牲になることもある。

はっきり言って、周囲はお見通しだったのだろう。

案外わからないのは本人だけだったりして。

私の望んでいることなんて、私と付き合ったことがある人でもわからない。

だが、私と会ったこともないのに、知っている人もいる。

何故、私が自分の望みをあまり言わないのかというと、言うとダサいから。

親しくなってそれを言ったところで、理解されなかった経験もあるしね。

 

 

ところが天だけは知っている。

何故なら私のことを生まれた時から見ているからだ。

だから、私の望みに近い人を差し出す。

でも私は年相応に老けてしまった。

シワ改善の美容液や女性ホルモンサプリメントを使用してもあまり効果はない。

前にも書いたことがあるが、仕事人間にだけはなりたくない。

人並みに遊びたいし、人並みに恋がしたい。

そんなこと、天が一番よく知っている。

それなのに私をそれらから遠ざけるのは何故だろう。

やはり、最後の試練なのか?

それとも天は私が死ぬまで試練を与え続けるのか?

 

 

私は天と喧嘩しているのではない。

むしろ、天の言う事は忠実に耳を傾けている。

調子こいて、天は次々と試練を。

調子こいて、私は次々と突破。

試練を与え続ける分、それ相応のご褒美もくれる。

だったらいい人現れてもいいんじゃないの?と天に言いたい。

きっと私が悩まなくても現れるし、こうして文章を書いている私も報われる。

それを腹の底から信じているから何ごとにも体当たりできるし、突破できるのだ。

小さなことにはくよくよしない。

現実は永遠には続かない。

いつか終わりがあるように、いつか始まりがある。

私の場合は幸い来月からステージが変わる。

消化試合でもホームラン打つのが私。

もうね、そういう習性であり体質なのだ。

だから、妬まれ恨まれても仕方がない。

疑われても、それはそれで仕方がない。

強いて言うならば、大切にしているのは『呼吸』であり『間』かも知れない。

仕事もそう、文章もそうだ。

読んでくれる人がいて、私の話を電話越しに聴いてくれる人がいるのはそういうことのような気がする。

一番良くないのは、自分に酔ってしまうことだと思う。

 

「俺(私)って、頑張ってる!」

 

努力の矛先が間違っていれば、どんなに汗水垂らしても人々の胸には響かないってことさ。

むしろ白い目で見られて終わることがある。

世間は冷たいから、矛先について誰も教えてくれやしない。

そういうもんだ。