nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

個人として生きる

よく食べよく働いた一日である。

どこへも寄らず、満員電車に乗り込んだ。

週末の池袋は雨なのに凄い人混みで、どこにも寄る気がしなかった。

疲れているが、空腹じゃなかったので直帰する気になったのだろう。

実は昼休みに上司とインドカレーを食べに行った。

気を遣う必要はないのだが、やはり多少は気疲れしたようだ。

しかし、先日整骨院で買わされた『ぶどう酢』の効果なのか、仕事に慣れてきたのか、以前のような救い難い疲れではない。

このまま飲みに行こうと思えば行けるような気もした。

帰宅したら二十一時前だった。

さほど疲労感はないにせよ、精神的にくたばっていた。

人間って面倒臭い。

人間が好きで、人間に励まされ人間に救われてきた私だが、とてつもなく一人になりたかった。

そんな時、取っ散らかっている我が家がこの上なく最高の場として私を迎え入れた。

誰もいない、誰の目にも触れない場所で、皆に向けて文章を書いている時、静寂が安堵を運んでくれた。

来月からは、再び新人として職場に通わなければならない。

対面販売で心労もあるかも知れないが、せっかく家賃を払っているこの寝床を大事に想うことにしようと考えている。

 

 

私は仕事中に訊かれたらこう答えようと思っていたことがある。

訊かれなかったので、ここに記す。

 

「橋岡さんは常に熱心に仕事に取り組んでくれて有難いです」

 

喫煙所で上司からそう言われたので、こう答えた。

 

「当たり前のことをしているまでです」

 

その上司はインドカレー屋で、私にこんなことを抜かした。

 

「スタッフは『コマ』です。一、稼働員でしかないです」

 

恐らくコマである私に心を開いているからこそ、そんな本音を吐いたのだと思う。

もしかして、普通なら怒る場面か?

私はコマとしてこき使われて、捨てられることに慣れっ子だ。

それは何故なんだろうかと過去の自分を旅してみた。

高校時代に家出して、ススキノの場末のスナックに潜り込んで、寮に入れてもらったのに生意気すぎてクビになり、寮を追い出されたりしたのがスタート地点。

それから随分と長い間、誰でもできるような労働を天からの贈り物として私は目を輝かせながら一生懸命やった。

それでも行きつく先は、ブラック企業の労働。

やってもやっても、どうあがいても労働。

ずっとずっと労働者だった。

上司や社長を見ては、私ならこうするのにと悔しさを感じながら、下っ端というものから抜け出せなかった。

世の中が間違っていると思っていた。

おべんちゃら使うヤツが出世して、数字を出す私みたいなヤツはいいように利用されるのだと拗ねていた。

 

 

ドコモの販売員に異動になったのは何故なんだろうかと考えるのをやめた。

まさかの左遷だったら、私にとってプラスの左遷にしてやる。

その考えが、会社の思う壺であることは、何となく予測がつく。

でもどっちでもいいじゃないか。

労働者として下っ端で、いい歳こいても責任者にすらなれないのに、成績だけはトップクラスの私。

扱いにくいとか、何かしらの理由があるはずだ。

でも、一生下っ端でもいいと開き直れる強さを身につけた。

来月からは、契約社員から業務委託に変わるそうだ。

国民保険で、福利厚生が全くない。

会社にとってこんなに都合のいい人はいないのではないだろうか?

倒れたら終わり。

全て自己責任。

介護職の時のように怪我しても保障はないわけだ。

社会の中であくまでも『個人』を売りにしている私だからいいかも知れないが、業務委託なら、販売ロボットでしかないわけだ。

天は、とことん『個人』で生きろと言っている。

社会に出ても、個人としての評価と共に生きる私。

私を守る人は、会社でもない国でもない、私でしかない。

その方が、私にとっては道が拓けやすいのかも知れないが。