nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

ネットの域を越える

私用で外出し、帰宅したら奇跡の十七時。

明るいうちに自宅に帰ってこれるなんて、いつ振りのことだろう。

出先で少々飲んできたので、めちゃくちゃ眠たいので、これを書いたら洗濯して寝ようと思っている。

部屋を片付けたい気もするが、それより何より睡眠だ。

私用の帰り、丸井のGUで買い物してきた。

それを着て通勤するのが楽しみである。

四月からの勤務地やシフトの報告はまだない。

どうやらギリギリになるみたいだ。

上野か秋葉原の量販店だったらいいのになとは思うが、北千住など最寄りのドコモショップだったらもっとラッキーなのだが。

池袋には未練がない。

気になる店はジンギスカン屋くらいだ。

今月中に一か八か行ってみて、池袋ライフを締め括ろうと思っている。

 

 

私って決して人を馬鹿にしているわけでもなく、軽視しているわけでもないのだが、非常に気まぐれなところがある。

しばらく連絡を絶っていたのに何となくこちらから連絡して見たりすることもある。

確か、そもそも返信しなかったのは私の方なのに、気まぐれでこちらから連絡しておいて、返信がないと怒ったりする。

まったく、わがままだ。

しかし、基本的には律儀なので、私から連絡を絶つことは滅多にない。

つまり、連絡を絶ったのにはそれなりの理由があるということだ。

私を怒らせたり、幻滅させたりしたことがあるわけで。

ところが日が経つに連れ、そんなこともどうでもよくなって所謂忘却の力が働く。

すると、上からだが、まぁ、また会ってもいいかななどという気になるのだ。

どうしても会いたいとか、忘れられないといったレベルではなく、気が向いたから、ただそれだけである。

繰り返すが、馬鹿にしているわけではないのだが。

 

 

今考えているのは、五月七日の新人賞の発表の時、どこで誰とどう過ごすかについてだ。

この時、どうしても傍にいて欲しいという人がいるわけでもなく、行きたい場所があるわけでもない。

ただ、仕事は休みたいと思っている。

大事な電話に出られないのではなく、ちょっと特別な場所で結果報告の電話を待ちたいのだ。

一人でビジネスホテルでも予約して、綺麗な景色でも眺めて酒でも飲みながらその時を待つのも良い。

ただ、本音の本音の本音を言うならば、その後誰かに祝って欲しい。

乾杯がしたいわけだ。

人生が大きく変わるかも知れない大きな節目。

当然のことながら、翌日の投稿では正式に結果発表させて頂く。

賛辞のコメントが飛び交い、小説『ロックンローラー』の注文は殺到するだろう。

ただ当日はやはり特別な人と、特別な時を過ごしたいのである。

五月七日までに特別な人ができるといいのだが。

 

 

もはや『蓮ワールド』はネットの域を越えてるよね、と友達と話をしていた。

私の日々の投稿を楽しみにしてくれている方々にとって、私の存在は身内の次に近く、友達や元カノではないが、心の中に『蓮さん』という位置づけがあるのだと思う。

だから私は隣人より読者ファースト。

コメントのお返事は喜んで書かせて頂いているが、LINEや電話は疎かになっていたりする。

そのようなことはあまり理解されない。

多くの人は、ネットの繋がりよりリアルな関係を重要視している。

私の中ではもはやこの投稿は皆との大事なコミュニケーション手段であり、信頼関係の元に成り立つ連絡網みたいなもので、SNSなんて曖昧な世界からはとっくのとうに抜け出している。

例えば、いつも読んでくれている人とたまたま飲む機会があったとする。

しかし、私にとってはまだ見ぬ読者の方と平等だ。

何故なら、投稿を楽しみにしてくれている気持ちに差はないからだ。

ただ大抵の人は、飲み友達を優先するでしょ?

私はその逆で、目に見えない人こそ大切にするから、目には見えない絆が生まれるような気がしてならない。