底知れぬ悔しさが、直接雇用してもらったことによって『一旦』消えた。
惨めな気持ちや卑屈精神も『一旦』幕を閉じた。
実に建設的に物を考えられるようになった。
神と仲直りとまでは行かないが、スーッと穏やかな空気が心を埋め尽くしている。
異常だった食欲も止まり、軽くダイエットでもしようかと思っている。
何のためでもない、自己満足のためだ。
ついつい何をするにも『何のため?』と考えてしまう。
これはクセみたいなものだが、そもそも私には生まれてきた意味がわからない。
あまりにも変わり者だったため、私は天才児として育った。
特に芸術分野は長けていて、音楽のみならず美術でも才能を発揮していた。
文才はあまりなかった。
本を読むことも苦手だったし、日記も書いていなかった。
ただ、底知れぬ悔しさと、世の中に対する怒りがあって、ノートにそれをぶつけていたことはある。
それが今の原点かも知れない。
今だって、私は文才などない。
日記を書いているだけに過ぎないが、人から日記と言われるとイラッとする。
いやいや、表現しているのだと。
怒り、悲しみ、悔しさと虚しさ。
たまに、喜びと愛について。
ヘビーユーザーくらいになると、私が怒っていても大したことないとわかる。
しかし、中にはびっくりする人もいる。
いや、ドン引きして読まなくなる人もいる。
この手の話も、皮肉を込めたジョークであり大したことないのだ。
話を戻す。
天才児として育った私は意外と凡人であった。
親は私を『裏切り者』と呼び、食事を与えなくなった。
一家団欒みたいなものがあったら、母さんに感謝して家出を留まったかも知れない。
しかし、生きるためには働くしかないと知った。
親から見放された私は、自立しか道はないと。
天才児として生きるということは、常に変わっていなければならないということだ。
しかし、母さんには変わり者を受け止めるだけの器量がなかった。
もしかしたら凡人かも知れないという落胆は、母さんだけのものではない。
子供である私だって自分に失望するのである。
この程度だったとね。
だからずっと卑屈に生きてきた。
若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉だけを信じ、大器晩成というものを信じた。
それが四十歳過ぎて、離婚を経て、怪我や退職を繰り返した。
そして、将来に見込みはないだろうと悟ってしまった。
これ以上綺麗になることも健康になることもないと知ったからだ。
そりゃ卑屈になるだろう?
年齢的な問題ではない。
神がそうしたのだ。
だったらそれと引き換えに、私に才能をくれよ!と思った。
何故かって、幼少期に天才児として生きていたからだ。
育った環境のせいにはしたくないが、天才児じゃないと納得できない自分がいた。
でもさ、紆余曲折を経て、一つの小さな会社に辿り着いたってのもある意味美学じゃね?
天才児ではなくても、死に物狂いで世の中に居場所を掴んだってのも悪くない。
物書きとしてビッグスターにはなれなかったとはいえ、悪いけど書き続けるよ。
コールセンターで働きながら、こうして文章を紡ぐ。
文章なんてものでもないし、ただの日記かも知れない。
それでも文句を言うヤツは一人もいない。
いたとしたらぶった斬る。
そう考えたら、親のエゴってクソだな。
天才児じゃなきゃ許せないとか、子供を苦しめるだけ。
私には子供はいないけど、クソみたいな大人にはなりたくない。
親のエゴって最近私がずっと書いてきたことと同じなんだよ。
『蓮さんらしさ』とか『蓮さんはこうあるべき』とか、それと大差ない。
一番大事なのは本人の『納得』。
酒に酔っている自分に納得できりゃ、それでいい。
人は従うものではなく、巻き込むもの。
それがロックンロールと云うものだ。