nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

圧倒的な安心感

居場所を探しているってずっとずっと言っているけど、それはきっと心の居場所を指すんだと思う。

何県の何市とかそういう問題ではないって気付いたのがつい最近だから笑える。

ちょっと昔までは日本地図見ながら、どこへ行こうか考えていた。

海の近くの方が魚が美味しいよね、とか、安い古民家探そうかとか。

とある映画に影響を受けて頭の中は古民家一色だったけど、流れ流されてここに来たから出会ったものも沢山ある。

それはそれで後悔していない。

つまりこういうことだと思う。

安心していられる場所、懐疑心を持たずに済む場所、無防備でいられる場所。

蓮はそのままでいいんだよって言ってくれる場所。

蓮と一緒にいるだけで心強くて、それだけで俺は社会と闘える。

そう思ってくれる人を心底望んでいる。

蓮と一緒にいたら将来いい想いをするかも知れないとか、私のことを充てにしているような奴とは全然違う。

次元が違う。

根本的に違う。

あくまでもお互いにお互いの存在を感じているだけで、お互いが社会の中で生きて行けるようなそういう関係を求めている。

趣味なんて違っていても構わない。

世代だって違っていてもいい。

物理的には孤独なんだけど、愛に溢れた人。

この世の中にはそういう人が沢山いるということを知っている。

中には孤独が当たり前になっていて、寂しさを感じない人もいるかも知れない。

そういう人は遠く離れたところから見守って応援してくれるもの。

そんなことにも最近気付いた。

本当に色んな人がいて、それぞれの生き方があるけれど、私のことを必要としてくれる人も中にはきっといるはず。

私自身、そういうことにも実は気付いている。

この先は明るい。

未来は可能性に満ちている。

身体のためになるようなことを何もしていないから人生短いかも知れないけれど、一度くらい味わいたい。

圧倒的な安心感。

きっと世間っていうものを知る前の遠い昔の記憶のような、絶対的幸福感。

決して親のような愛情を求めているのではない。

揺るぎない信頼と、絆。

一番ベストなのは、二人三脚で歩いているような感覚。

どこにでも転がっているわけじゃない。

とても貴重で特別なもの。

私は私の直観をどこまでも信じたい。

もうこれ以上流されるのではなく、直観の赴く方へ進んで行きたい。

あの時、間違ったと思った感覚を今でも忘れない。

逆に、なんとなく惹かれた感覚も忘れない。

近いのに遠い、遠いけれどもいつも傍にいる。

見えなくなることは無い。

裏切りもクソもない。

どこまでも広がるのは安心感。

そんなものが直ぐそこにあるのになかなか届かないのは、私の修行が足りないからか?

神様はいつになったら私にそれを差し出してくれるのか。

聞いても答えは返ってこない。

できることなら私は文章を書き続けたい。

昔は理解者を探すためとか言っていたけど、少し変わった。

自分が倒れないように支えるため。

だけどなんだかんだ言っても書き続けることには意味があると思う。

少なくても全てを理解することはできなくても、この部分には共感できるとか、そうやって私が書く文章を好んでくれる人は出てくるかも知れない。

しかし、私はそれは期待していない。

あくまでも私が求めているものは圧倒的な安心感。

自分のことだけは嫌いにならないように、ポジティブに生きて行けばきっと辿り着けるはず。

たぶんそれが私が求めている楽園。

一生に一度でいいから味わってみたい。

問題はどうすれば辿り着く事ができるのか。

どうすれば現実をより良い方向へ変えられるのか。

それがわからないから闇雲に書き続ける。

届きそうで届かない、楽園。

だからと云って美化しているわけでもない。

村上龍が言っていたけれど、欲しいものがわからない奴は絶対にそれを手に入れることができないって。

本当にその通りだと思う。

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)