nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自己満足

書いている内容は昔から変わっていない。

同じようなテーマを掲げて、ひたすら文章を書いている。

言っていることも変わっていない。

多少書き方が変わっただけ。

文章を書いているのは、結局は自分のため。

書くようになってから、初めて自分を見つめるようになった。

昔はパソコンなんてなかったから、ひたすら友達に手紙を書いたけれど理解されなかった。

約十年前から日記の如く文章を書くようになったけれど、読者はゼロ。

誰の目も気にすることなくパソコンに向かうことが仕事よりも大事になった。

今日は何を書こうか考えて、仕事が終われば酒を飲みながらパソコンに向かうことが楽しくて仕方なかった。

しかし私の日課を理解してくれる人も少なかった。

付き合っている人がいても、私がパソコンに向かうと寂しがられた。

彼等からしたら、仕事以外のことに夢中になられることが嫌だったのだろう。

自ずと別れは訪れる。

結局理解者不在のまま文章を書き続ける日々。

エッセイでもない、勿論小説でもない、けれども単なる日記でもない。

文章を書き始める前は、仕事に遣り甲斐を求めていた。

マニュアルに沿った仕事じゃなくて、独自性を発揮できるようなクリエイティブな仕事を探していた。

しかし組織に属するということは、遣りたいことだけやるわけにはいかない。

文章を書く仕事を任せられたりしたことがあったんだけど、自分の好きな文章が書けるわけではない。

その辺から組織に属して働くということに挫折を覚えて上京した。

単純に東京へ行けば、何か見つかるかも知れないと思ったからだ。

あれだけ人間がいる東京へ行けば、一人くらい仲良くなれる人がいるかも知れない。

そんな期待もあった。

八王子での生活を経て国分寺へ拠点を移した私は、文章を書くことにエネルギーを注ぎたいから仕事は単純であればあるほどいいと気付いた。

確かに給料は安かったけれど勤務中に考え事ができることが何より良かった。

そこで悟った。

仕事に遣り甲斐など求めてはいけないのだと。

どうせ私は組織に向いていないのだから、あくまで生活費を稼ぐだけで全てのエネルギーは文章を書くことに費やそうと。

それからほぼ毎日読者がいない状態で文章を書き続けた。

その日あったことや考えたこと、参考になったことや影響を受けたことなど。

とにかく何でもいいから二時間ほどパソコンに向かうことを日課とした。

究極の自己満足。

それで良かった。

今でもそれは変わっていないような気がする。

朝から晩まで、何を書こうか考える。

書いたものをSNSにアップする。

真剣に読んでくれている人がどれだけいるのかわからないが、それは大した問題ではない。

書くことで自分を納得させ、自分を見つめ、その文章を読むことで自分を保っているだけ。

万が一、私の文章に共感してくれる人がいたらそりゃ嬉しい。

だけど仮に一人も共感者がいなくとも、私には書き続ける必要がある。

一銭の金にもならなくとも、自分の内なるものを消化するには書くしかない。

方向性はたぶん変えない。

何年も書いてきて成長したことと云えば、あまりない。

文章力が上がったとも思わないし、未だにあまり漢字を知らない。

先にも書いたが、私が言っていることは昔から殆ど変わっていない。

住んでいる場所の違いはあっても、内容に大差はない。

賞も取ったことないし、取れる予感も更々ない。

一般的に受け入れられなかったとしても、独自の世界観は少しずつできつつある。

それらをまた本にすることができるのか、一生SNSから抜け出せないのか。

きっともう少し続けていれば答えが出る。

SNSの中から飛び出すことができなかったとしても、私は書き続けるだろう。

常に自分を再確認するために。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)