PANTAを聴いている。
昔、頭脳警察は聴いたことはあるがまともに聴くのは初めてのことだ。
朝からCharを聴いていたのだが、なんとなくPANTAの方が私に合っているような気がした。
友達にCDを焼いてもらったのだが、実に良いものを貰った。
さて、先日寿司屋へ一緒に行った友達が詩集を出したいとのことで、電子書籍制作の仕事を私に依頼してくれた。
この仕事は以前からやっているのだが、「詩」は初めてだ。
フォントやレイアウトを詩ごとに変えた方が読者の満足度が高まるような気がするので念入りに作業して行こうと思っている。
先ずは、詩の世界にのめり込むことが大事かも知れない。
私なりの感性で、制作していくつもりだ。
完成したらここでも紹介したいので、楽しみにしていて欲しい。
ノートに手書きしたものを預かってきたので、先ずは入力から始めている。
ずっとこうして書き溜めてきたのだなと思うと、とても健気に感じる。
悩みや哀しみ、辛いことなどを詩に託してきたようだ。
物を作る者として共感する部分が多々ある。
私が誰に見せる目的でもなくパソコンに向かって文章を書き綴ってきたように、彼女もノートに向かってそうしてきたのだろう。
そういう面でも共感する。
ただ、私は今まであまり「詩」というものには触れてこなかった。
大昔、ランボーやポーの詩集を買って読んだがあまり理解できなかった記憶がある。
ただ彼女の作品はとても理解し易く、イメージが浮かぶ。
挿絵もあった方がいいとか、ページ数はもっと多い方がいいとか、欲も出てくる。
手持ちの本などを参考にしながら、私なりにアレンジしよう。
どうやら彼女は十年近くも前から詩をノートに書き溜めていたようだ。
二〇十三年の筆跡があるので、まだまだ私と知り合う前から誰にも言えないものを抱えて生きていたことになる。
勿論元々センスというか才能があったのだろう。
詩っていうのは文章を書くより難しいと思う。
自然を愛し、動物を愛し、人に傷つき、人を愛した彼女だからこそ書けたのだろう。
その彼女のことを私はよく知っているつもりだっただけに、たまに泣きそうになりながら入力を進めている。
そしてなにがなんでもいい作品にしたいという想いが強くなるばかりだ。
私の新作も順調に準備が進んでいる。
来週からデザイナーさんが制作に入ってくれるので、私もそのタイミングで執筆を再開しようと思っている。
つまり、今週中には詩集の入力だけは終わらせたい。
詩集を出したいという彼女は、まるで夢のようだと言ってくれる。
ジャンル問わず、物を作っている人にとって一つの「形」になるのは大きな喜びになるだろう。
彼女にとって夢のようなことに私が携わることができて、本当に光栄だ。
私も初めて自分の作品の電子書籍(現在幻冬舎から販売している『破壊から再生へ』の元になった原稿を過去に電子書籍として出版している)になった時は本当に嬉しかった。
それまでは自分が書いたものに自信がなくて、読者と云うものが一人もいない状態で書き続けていた。
自分の生き方や考え方を書いていたので、それを根こそぎ否定されたらこの先どうやって生きて行けばいいのかわからなくなりそうで怖かった。
今は偉そうになんでも書いているが、人前に自分の文章を晒すということに慣れてきた証拠でもある。
本当はもっともっと多くの方に読んでもらいたいけれど、先ずは毎日ここに何を書いているのか気になると思ってもらえるようになりたい。
そこから全てが始まるような気がしてならない。
そう信じて毎日こうしてある程度纏まった文章をアップしている。
今の時代はSNSで自分の文章を本という形にしなくてもある程度、誰かに読んでもらうことができる。
しかしアナログ人間なので、いい機能を使いこなせていないのが現状だ。
それでも一人、二人と読んでくれる人が増えている実感はある。
やるべきこともどんどん増えるが、それだけ充実しているという証。
とにかくGWまで、このまま飛ばすぞ!
GWは私にとって大きな節目になりそうだ。