nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

小さな愛

珈琲を淹れる時に使うカップが割れちゃったから、百円ショップへ買いに行った。

ただそれだけなんだけどジムニーに乗りながら、なんとなく満たされている自分がいた。

リアルな日常の中で、こうして幸せを感じることもある。

別に何か特別なことがあったわけではない。

ジムニーで外環ぶっ飛ばしていただけ。

結局目当てのものが無くて、何も買わずに帰ってきたってだけの話。

SNSの中でも生きているけど、リアルの世界でもこうして生きているっていう安堵感。

 

週末町内会の仕事があって近所回りをしていたら、近所のオバちゃん達に貴女って明るいわねって謂われた。

婦人会に入らない?みたいなこと謂われて、いいですよって答えた。

なんだか町内会の仕事をするようになってから、この町に引っ越して来て良かったのかも知れないって思うようになった。

終着駅とは思っていないけれど、しばらくここにいてもいいのかなって。

きっと近所で仲良くさせてもらっている彼女達の殆どは、私が還暦になる頃にはもういない。

無論、私だって還暦まで生きられる保証はない。

だからこそ元気な時にやれるだけのことはやっておこうって話。

そんなこと考えていると、面倒臭い町内会の仕事をまた引き受けてもいいかなって。

高齢化しちゃって班長さんやる人が中々見つからないって云うから、私くらいの年代の人は期待されている。

どこの出身なの?って聞かれたから北海道ですと答えた。

事情があって、生まれて直ぐに沖縄にいたんだけど弟ができてまた北海道へ戻った。

留萌、釧路、札幌、それから鎌倉へ行ってまた札幌へ戻って。

ご両親は健在なの?って聞かれたからそうですって答えた。

話をしていると質問攻めに遭ってたんだけど、興味深々なんだと思って真面目に受け答えした。

私としてはそれを苦に思わず、人と触れ合うことの喜びを感じていただけ。

ずっとアパート暮らしだったから、昔は話相手と云えば大家さんくらい。

最初は、若いうちは都会のマンション暮らしの方がよっぽど気楽だと思っていた。

だけど町内会の仕事を通じて価値観が変わった。

気付けば月に一度の集会とかが楽しみになっている自分。

年寄りばかりの集まりだけど、この辺は孤独な老人が多い。

皆、話し相手を求めている。

私如きで良ければいつでも付き合いたいけれど、私もそんなに暇ではない。

旦那様に先立たれて孤独に生きている彼女達が賢明に生きている姿に感動。

将来の自分を見ているようで他人事とは思えなくて。

此処にいれば私は近所の方々から守られているような気がして、有り難い気持ちになった。

そして長生きして欲しいなと願った。

 

百円ショップから帰ってきたら、近所の老夫婦の家に警察が来ていた。

何かあったのかな?って気になったけど野次馬みたいだから敢えて聞かなかった。

奥さんが一人だったら話かけに行ったんだけど、旦那さんも一緒だったから却って邪魔になっちゃいけないと判断した。

だけど未だにちょっと心配している自分がいるのも事実。

今度集会で会った時に聞いてみよう、そうしよう。

ウチの隣のアパートには八十八歳のお婆ちゃんが一人で住んでいる。

お肌綺麗ですね!って言ったら、ファンケル使っているの!って満足気に答えていてかなり可愛かった。

女は幾つになっても女だよねって。

そしてまた、年齢を重ねることを恐れてはならないと言い聞かせたりする自分に気付く。

ただそれだけの週末。

ただそれだけなのに考え深い週末。

そして小さな愛が沢山私の中に溢れた週末。

人と触れ合うことで毒々しさが消えていく感覚。

小さなことがどうでもよくなる感覚。

たまにはこんな週末もアリでしょう。

それでもやっぱり自分で自分のツイッター見て安心してるって話。

リアルでもSNSでも、私は私。

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)