nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

世の中捨てたもんじゃない!

暑い~!!!なのにどうしてエアコンを付けてくれないんじゃ?

毎年こんなこと言っている気がする。

確かにエアコンはまだ早いが、暑いものは暑い。

こんなに暑いのに煮物を作り、それをつまみに晩酌をしていたので尚のこと暑い。

温度計は二十九度を指している。

しかもバイトがあったので少々疲れている。

でも、二日目のバイトへ行ってみて確信した。

やはりこの職場は当たりだったんだと。

何を以て当たりとするかは人それぞれだ。

時給を取るか、人間関係を取るか、仕事内容を取るか。

一ヶ月以上仕事探しをしていて見事にどこにも受からなかったのに、結局近所のスーパーに縁があった。

時給千五百円とか千八百円などは見事に落ちて安い給料のスーパーに落ち着いた。

いや~、実に私らしい。

だけど神様っていう人は、この期に及んでまだ苦労が足りないと仰るようだ。

ってことは、いつかそれなりの報いはあるっていうことだろうか?

蓮の花っていうのは泥水の中でしか生きられないらしいが、仕事も安くてキツイ労働しかさせてもらえないのだろうか。

昔からそうだった。

給料が良かった職場は殆どなかったから、私には常に貧困が付き纏っていた。

それなのに、そこで喜びを見出す。

結局は私はそこで働く人々に感動してしまうのだ。

給料が安いと文句を言わず、誇りを持って働いている姿。

お客様のために懸命に働いている姿。

私はそこの一員になれて本望だ!

そう思ってしまうのだ。

所謂「苦労を苦労と思わない」というヤツだ。

まぁ、傍から見れば、私は実に憐れなヤツだ。

定年退職しても雇ってもらえるようなところにしか受からないのだから。

しかし、私は思った。

高収入のバイトでもなく、綺麗なオフィスでもなく、やはり私は一般市民を支える労働者なのだと。

それがなんとなく光栄に思えた。

もう一つ感じたのは、近所のスーパーに受かったということは、やはりこの辺に縁があったのだろう。

越してきたばかりは、嫌で嫌で仕方がなかった。

なかなか馴染めなかった。

ところが町内会の仕事が回ってきたことによって、私は近所のお年寄の方々と友達になることに成功した。

月一度の自治会だけではなく、印刷物や回覧板の配布、町内会費の集金、ゴミ当番、資源回収などを通して一躍近所のヒーローになった。

何故なら、私のことが皆、物珍しかったからだろう。

きっとそれだけではない。

まるで娘のように感じたんだろう。

どこかへ嫁いで行った娘と重ねて見ていたのだろう。

近所の小母様達に可愛がられたことによって、ここに越して来て良かったと心から思えるようになった。

それ以来、嫌で嫌で仕方がなかったこの家を離れることが惜しくなってきた。

とある小母様から言われたのだ。

 

「み~んな歳取っちゃってね。役員なんてやれる人がいないから貴女頑張ってね!」

 

マジか、そんなこと言われたらなかなか去れないじゃないの。

もしパン屋さんでもそんなこと言われたらどうしよう。

私、辞められなくなる。

 

安い給料で重労働をしながら喜びを見出していく「ヨイトマケ精神」が伝わるだろうか?

労働者の美学を拙い文章で必死に伝えようとしていることが。

安い給料の中から賞味期限切れのパンを買って帰る先輩の姿を見た時には涙が出そうになった。

私もパン好きだったら、喜んで買うのだけれどなぁ。

 

「いいよ、いいよ、私、お昼ご飯に食べるから」

 

なんだか生き生きしている。

パンを作ることに遣り甲斐を感じているように見える。

私もフィッシュバーガー作れるようになりたいな。

たった二日目にして目標まで持てるようになった。

 

世の中金じゃないということを具体的に説明したのが、今日の文章だ。

大切なことを失いつつある現代人に対して憂いている方がいらっしゃったが、大切なヨイトマケ精神を今でも持っている人間もここにいるよ!と伝えたかった。

世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。