土砂降りの中、これを書き始めた。
ひどい土砂降りだ。
最近、文章を毎日書いているが、文章から遠ざかっているように感じるのは私だけだろうか。
駄文しか書けないからかも知れない。
それでも良いのだと言い聞かせている。
「自分の中の悪魔を見つめる力が、真の人間らしさを創りあげるのだ」
これは『悪を悩む力』の意味だ。
人間は悪魔と共存している。
私が悩む、嫉妬心や独占欲も悪魔の感情だ。
しかし、そこから目を背けることなく、絶対に諦めず、丹精込めて向き合って掘り下げる作業こそ、真の人間らしさを創りあげるという意味だ。
だから私が今、立ち向かっていることはあながち間違いではないということになる。
自分の悪魔から目を背けて逃げてしまうのが、善人思想である。
私は一歩間違えれば、破滅に向かう。
何故なら、旦那の人生を自分のものにしようとしているからだ。
そうなったら最後、自分に与えられた本来の運命に生きられなくなるそうだ。
旦那のことをついつい何でも知りたくなってしまう辺り、危険信号だ。
もうね、ここまで来たら自分の中にある悪魔と向き合って、ひたすら懺悔するしかないのだ。
自分の中にある悪魔を発見した瞬間、私は物凄く苦しかった。
何故ここまで必要以上に怯えなければならないのかと。
そして混乱状態が続いた。
強迫観念もあった。
焦りや、絶えず責め立てられているような錯覚に追われている状態だ。
今は、自分を客観視できているので、かなり落ち着いたと言える。
しかし、悪魔と向き合うことを止めてはいないので、苦しいことに変わりはない。
そして、自分の中の悪魔との遭遇による衝撃。
過去のあやまちに対する自責の念。
悲しみ。
ただ、向き合う作業を続けていれば、結果的にいい方向へ向かいそうな気がする。
何故なら、この一文に出会えたからだ。
「自分の中の悪魔を見つめる力が、真の人間らしさを創りあげるのだ」
この一文は、私に勇気を与えてくれた。
そうか、私はこのまま悩み続けていていいのだと。
寧ろ、悩み続けなければならないのだと。
この苦しみは、必然なのだろう。
私がもっともっと成長し、一皮むけた大人になるために、避けては通れない道なのだろう。
そのように悪魔との対面をポジティブに捉えることができるようになった。
そして、何より、家庭問題が解決に向かうような気がしてならない。
自分の非を認めることができただけ、前進したってことだろう。
あまりにも向き合い過ぎると、病気になると思う方もいるかも知れない。
しかし、逃げてはならない。
先にも述べたが、この苦しみを乗り越えた暁には、真の人間らしさが創られる。
だったら、とことん向き合おうじゃないか。
善人思想になど、私はなりたくない。
唯一自分の良いところはどこかと訊かれたら、「人間臭さ」と答える。
つまりその中に悪魔がいて当然なのだ。
この一文を教えてくれた彼はこう言う。
「悩み、苦しむことが、悪を乗り越えるキッカケになるんです!」
醜い自分と向き合う作業など、誰が好んでやるものか。
しかし、苦しいことから目を背けてしまうのが現代人の善人思想。
旦那もそうで、楽しいことへ逃げてしまいがち。
自分の中にあるものを隠そうとするので、先日も書いた通り「対話」ができない。
それでも私は絶対に諦めたりしない。
なんだか苦しかった八月も終わって、少し前向きになってきた。
これからどんどん深堀して行けば、何か新たな発見があるかも知れない。
それを信じて、今月も乗り越えよう。
今月は私の中で、一番大切な月と言っても過言ではない。
一つ気付いたことは、悪魔と向き合うことで、謙虚になれると云うことだ。
根拠のない自信は捨ててはならないと思うけれども。