nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

自己嫌悪の海

最近文章を書いていて思うことはリズム感についてだ。

本来私はリズムに乗って文章を書いてきた。

それがいつからか、リズムに乗れなくなってきた。

そのことは、私自身を非常に苦しめている。

スランプなどと言ったら笑われるか怒られるだろうが、そんなイメージである。

飛び方を忘れた魔女なのだ。

もう一つ言うならば、迫力がなくなった。

これはもう、、泣きたくなるレベルだ。

過去作を読んだら参考になるかなと思ったのだが、何の参考にもならなかった。

と云うのは、今の私と精神状態や環境も違うので、文章も違って当たり前じゃないかと思ってしまった。

だから過去作を真似ようという気にはならなかった。

じゃあ、アップダウンはあるにせよ、今書く文章を良しとしなければならないなと思った。

調子が良いと思っている時は、案外強気すぎて、今読み返すと疲れてしまう。

この際、自分にとって優しい文章など書いてみようか。

 

実は少々いじけていた部分もある。

旦那のことや仕事のこと、プライベートなことも含め誰からも褒められないとか、そんな下らないことで凹んでいたのもある。

どうして私はこんなに器が小さいのだろう。

どうして私はもっと寛大になれないのだろう。

どうして私は私が想う通りに変われないのだろうか。

それらを全部旦那のせいにしてみたり、環境のせいにしてみたり、自分のことが嫌になっていた。

だから全部自分のせいにしてみた。

すると、そこには果てしない自己嫌悪の海があった。

ここから抜け出すのは至難の業。

急に旦那に対して優しくなったりして。

 

だけど、自己嫌悪の海に落っこちた挙句、旦那に優しくなれたのは良いことなのではないか?

今まで自分のことしか考えていなかったということに気付き、反省できて良かった。

どういうことかと云うと、私は自分が幸せになることばかり考えていて、ひたすら相手を責めていた。

そこから抜け出し、旦那の心に目を向けられるようになった。

こういうことは傷つけるから言ってはならないとか、こういう態度は不安にさせるからしてはならないとか。

モラハラにさせてしまっているのは、私にも原因があるよなと。

要は、寂しい想いをさせてしまっていたんだろうなと気付いたのだ。

自己嫌悪の海にいることに変わりはないのだが、混乱の末、平穏な心を手に入れたような気がする。

「嵐の後の静けさ」ってこういうことを言うのだろうか。

この三年間、私は何度別れたいと言っただろうか。

その度に傷付けていたのかも知れない。

勿論、別れたいと言った背景にはそれなりのことがあったのだが。

ちょっと私の中で懺悔の気持ちが芽生えてきた。

旦那へも読者へも、それぞれの懺悔。

なんだか生きているのが恥ずかしくなってきた。

やっぱ自己嫌悪の海に溺れているのだろう。

まぁ、しばらく溺れさせておこうか。

 

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