nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

諦めたのか?

旦那がキャンプへ行ってくれたので、私はオフを満喫。

午前中はゆっくりしてドコモショップへ。

すると、故障ではなく通信速度制限が掛かっていただけだった。

しかも間抜けな私、なんと設定が五ギガライトだったそうだ。

足りるわけないやんか!

たった五百円で使い放題プランに変更することができた。

さっさとプラン変更しておけば良かった。

まぁ、そのお陰でキャンプへ行かずに済んだので結果オーライだ。

比較的に暖かい日ではあったが、やはり私は行かなくて正解だった。

何となく嫌な予感がしたからな。

寿司屋で小腹を満たし、ドトールでコーヒーを飲みながらこれを書いている。

夜は忘年会があるので、家に帰るのも中途半端。

時間になるまで、茶店巡りでもしながら書いてしまおうと思っている。

いよいよ年越しだが、我が家には年越し蕎麦もない。

毎年除夜の鐘を鳴らしに行っていたのだが、今年はそれすら行きたくない。

寝て起きたら年が明けていたので良い。

年越しはマジで寒いらしいからな。

身を削って旦那に付き合う必要はもうなかろう。

年内に終わらせたい仕事もまだ残っている。

海外出版の仕事だ。

年内見送りになった打ち合わせや、イギリスの出版社は送る企画書の作成などだ。

この企画書の作成がなかなか難しい。

自分で自分を売るということは、自分を客観的に見て判断する必要がある。

何人かにアドバイスを求めたが、いいアイディアが出てこなかった。

しかし、一つだけあった。

「橋岡蓮の『極端』を表現せよ!」というものだ。

はて、極端…確かに私は極端。

それをいかにして表現するかだ。

そもそも『極端』ってどういうことだろうか?

それについてしばらく考えていた。

ネガティブとポジティブが極端、でもある。

幸運も不運も極端、でもある。

いい時と悪い時が極端、でもある。

考え方そのものが極端、でもある。

例えば離婚か再婚か、みたいなところも極端なのかも知れない。

そう考えると私は客観的に見ると極端な人間なのかも知れない。

しかし、それが魅力だとも言われた。

生きることが難しくなれば死を考えるのも極端だよな。

会社を続けるか、辞めるか。

付き合うか、別れるか。

常に極端なものの考え方をしているのかも知れない。

しかし、武士道精神で生きている私には妥協や様子見などの文字がない。

だから恋愛もないかも知れない。

好きになったら結婚するか、実らないなら忘れるか。

離婚にしたってそうだろう。

いや?

離婚は最初から決まっていたような気もするが。

 

 

確かに私ほど極端な考え方をする人間に出会ったことはないかも知れない。

 

「蓮さん、ちょっと待ってくれよ…!」

 

そう言われることは多々。

私の生きるスピードに着いてこられる人は極めて少ない。

これだ!と思ったら一直線。

違う!と思っても一直線。

誰にも止められないのである。

ふと立ち止まって後ろを振り返ってみたら誰もいないということもある。

それでも私は前進あるのみ。

横目振らず突き進み、壁にぶつかっても立ち直る。

ただ一つ言えることは、もうあまり若くない。

これが最後の革命であって欲しい。

どの分野においても、勝ち抜く人にはサポーターがいる。

要は影の立役者があってこそ、光り輝くことができる。

私一人で突っ走るのには限界があるということを知ってしまった。

だから私は正々堂々と、サポーターになってくれる人を求む。

橋岡蓮という無名の人間を応援してもいいと思ってくれる奇特な人を。

世の中広いんだから、いるに決まっている。

まだ出会っていないのかも知れないが、案外身近にいるかも知れない。

全てはタイミング。

つまり、旦那は立役者になれなかったということだ。

私の文章を死ぬまで読み続けてくれる覚悟を持ち、世界に押し出してくれるような人。

いないわけなくない?

この世には少数派と呼ばれる変わり者が存在する。

むしろそういう人しか私の周りには集まらない。

だから、安心して見守っていてくれ。

 

 

それにしても、旦那は「どこ行ってんの?」とか「何してんの?」とか、何も訊いてこない。

心入れ替えたか、諦めたかどっちかだな。