橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

守るべき愛

寝不足と食べ過ぎが相俟って、すこぶる眠たい。

満腹になると、どうして人間はこれほどまでに睡魔に襲われるのだろうか。

品川駅近くでカレーライスを食べて帰宅したところだ。

珍しく酒を飲んでいない。

なぜなら、前日レモンサワーの素を原液のまま飲んだら翌朝になって気持ち悪くて吐きまくったからだ。

何やってんだか。

品川は初めて行ったのだが、都会すぎてビビった。

え?こんなに人も車も多いの?みたいな。

目的地がわからなくてタクシーに乗ったのだが大渋滞で、いやいや参った。

暑かったしね。

 

 

そういえば、これも書いておかねばならぬ。

確固たる意志についてだ。

それが一体どこから生まれるのか考えてみた。

私はプライドを捨てて『ロックンローラー』を書いたが、発売したら自分の作品を守りたい気持ちが芽生えてきた。

たぶんそれはプライドと関係しているのではないかということだ。

やはりプライドがあるからこそ、自信を持って作品を薦められるわけだ。

その辺が確固たる意志と紐づいているということ。

わかりにくいね。

プライドは捨ててみてこそ大事なプライドだけが残ることを実感できるということ。

一度捨てなければ、本当に大切なものは見えてこない。

試しにプライド全部捨ててみればきっとわかる。

残されるのは確固たる意志。

守るべきもの、そうじゃないものがちゃんとわかるようになる。

事実、私には男女問わず大事に思っている人が沢山いる。

しかし、誰でも彼でも大事なわけではない。

ロックンローラー』の制作を経て、目に映る光景は大きく変わったと思っている。

好きな人のタイプまで変わったからびっくりだ。

やはり、『ロックンローラー』を読んで励まされるような人と一緒にいるべきのような気がしている。

仮に物理的に一緒にいることが困難でも、心は一緒だ。

遠方で会えなくても、声を聴くことすら難しくても、目には見えない一体感がある。

それを守り抜くのも確固たる意志。

例えばだけど、私がどんなに眠たくても毎朝五時にアラームをセットして投稿をアップするのは、毎日の活力にしてもらいたいから。

それは意地でもなんでもなく、一度捨てた結果残されたプライドなのかも知れないって話。

たまに寝坊したり、起きても寝ぼけてアップできなかったリした日は勘弁だけどね。

何が言いたいって、確固たる意志は守るべきものに対する愛に他ならないということだ。

 

 

先日、とある方に大事な人を三人挙げてくれと言われ、恩のある人を三人挙げた。

本当は三人どころじゃないのだが、とりあえず絞った。

そして、その三人に対して、手紙のようなものを書いた。

すると、大事に想う気持ちが増したような気がする。

世界が滅びても、絶対に裏切ったり傷付けたりしたくない人。

この世は狭いようで広く、私の投稿を楽しみにしている人がいる。

それは直接言われたわけではないが、肌で感じてわかること。

そういう人のために毎日これを書いていて五時にアップするということ。

私の投稿を読まなきゃ、仕事でミスをやらかしたり、なんとなく心細くブルーな一日を過ごす人もいるかも知れない。

だから寝坊した日は、私までしくじった気持ちになる。

先にも述べたが、確固たる意志であり、守るべきものに対する愛があるからだ。

つまり、確固たる意志っていうのは、愛を守り抜くというプライドだということが言いたい。

特に楽しみにしているわけでもない人のことはなんとなくわかる。

だからといってその人を責めたりしない。

こういうものは極めて個人的なものだからだ。

ただ、楽しみにしていない人からはなんとなく私もいつの間にか心が離れて行く。

そればっかりは、仕方のないことでもある。

三人の名前を挙げたと書いたが、私には守るべきものが大勢いるという自覚がある。

私のことを生意気だと思っている人もいるとは思うが、本心しか書かない。

だから今日も本心で書いた。

守るべき愛を持っていると、自然と強くなれる。