雨上がりとても気持ち良く晴れた。
私は友達の職場に顔を出すため都内へ向かった。
駅まで歩いただけで汗だく。
電車の中は冷房で汗が冷えて寒かった。
あぁ、やっぱり秋なんだなと感じた。
秋は一年の本番と言っても過言ではない。
私にとっては実りの秋である。
季節はそれぞれいいところがあるけれども、秋が一番好き。
追い風が吹いてくるのを感じることができるから。
あくまでも私の場合だが、違和感を感じてしまうような人とは距離を置き、そっと離れるようにしている。
今年に入ってそのようなことが続き、今ではスッキリとしている。
不思議なことに良い人とのご縁があり、人脈は減らしたつもりが増えたりしている。
そのお陰で、私って人間関係でのストレスがない。
職場の仲間も皆いい人ばかり。
共通しているのは、皆それぞれが常識的であるということ。
何を以て常識と言うのかはわからないが、人に不快感を与えないというのが共通点だと思う。
礼儀、わきまえがしっかりとした人が多い。
だから皆仕事も上手く行っているし、それぞれ自立している。
久々に会った友達とも、実にピッタリフィットした気分で過ごすことができた。
実はお互いに忙しいくてなかなか会う時間が合わないからと、友達の職場に顔を出したのだ。
お店はさほど混んでいなかったので、色々な女子トークを繰り広げた。
ここでは書きにくいようなことまで聴いてもらえて、とても嬉しかった。
彼女とは意気投合して以来仲良くさせて頂いているのだが、お薦めの映画や音楽まで教えてもらうことができた。
時間はあっという間、私は今、とある居酒屋で彼女の仕事が終わるのを待ちながらこれを書いている。
二時間ほどあるのでゆっくり書かせてもらおう。
友達や恋人って何基準に親密になるのだろう。
一番は「居心地」だと思う。
そして心を開く最大のポイントは理解と共感ではないだろうか?
頭ごなしに貶されたり、反対されたらどうだ?
話もしたくないよね?
まぁ、大人はそこで嫌な顔一つ見せずに上手く交わす術を持っているし、言い返すこともない。
ただ私みたいなヤツより「強い」大人だと、きっちり嫌味で返すことができる。
大人なのでその後連絡を取らないという術を使う。
この手の話をすると、蓮さんはイエスマンばかり周りに並べるというようなことを言われる。
いやいや、違うでしょ?
イエスマンじゃなくて、理解の深い人としか付き合わないってだけの話。
要は賢い人が好きなのだ。
人の話はキッチリ聴くけど自分の話もちゃんとできて、上から目線にならず「聴く姿勢」をしっかりと持てる人。
人間って勝手で、話は聴いて欲しいのにアドバイスは求めていないことが多い。
私も私のことは自分で決めるから聴いて欲しいだけ。
仕事の悩みなどはアドバイスくれたら嬉しいけどね。
そういう空気は読まなきゃダメだろ。
この人は何を求めているのか考えろって思う。
そういったことがごく自然にできる人と仲良くなるって話。
大人だったら本来はできるはず。
それができない人とは意気投合できなくて当然だ。
まぁ、三十歳も年上だとしてもそれができる人がいるから友達なのだが。
基本的に彼ら彼女らは、私を否定しない。
うんうん、と話を聴き、そうだね、と頷く。
だけど私が間違っている時はキチンと叱ってくれるもの。
そういう人の意見は不思議なことにスーッと入ってくるものだ。
嫌味半分に上から目線でものを言う人が、何故私とは仲良くしてくれないの?と言ってもそれは当たり前でしかない。
そういう人は私以外でも、人と交友関係を結ぶことができないのではないだろうか。
私はそこまで友達が多い方ではない。
ただし、深い。
だから寂しさを感じなくなったのかも知れない。
この辺に移り住んだ七、八年前は友達に飢えていた。
それがSNSを通じて広がって行った。
皆が毎日私の姿は文章を通じて見ている。
離れて行かないのは、やはり親密だからだ。
もっと言うならば、私がブレていないからではないだろうか?