まさかのまさか、利用者さんの中に作家志望の方がいらっしゃった。
意気投合して、話が盛り上がってしまった。
波乱万丈な人生を一冊の本にしたいそうだ。
半身麻痺で車椅子生活を余儀なくされているものの、とても美人で素敵な女性だ。
そして常に本を持ち歩き、合間を縫って本を読んでいる。
「私、群像文学新人賞に応募したんですよ。半生を書いて」
利用者さんは、ハッとした様子でこう答えた。
「ラジオでもやってたわよ!私も半生書きたいけど、恥ずかしい話ばかりで」
頬を赤らめて下を見ながらそう言った。
「私なんて恥ずかしいことだらけだったけど、新人賞を取るためにさらけ出しちゃいましたよ」
「でもね、友達に言ったら私の人生は本にしたら絶対に売れるって云うのよ。だけどどうやって書けばいいのか」
ヤバい、一から十まで教えてあげたい!
だけど私は一介護職員。
利用者さんのプライベートに入ることはタブーとされている。
困っている利用者さんを放っておくのは辛いことである。
せめて相談相手くらいにならなってもいいのだろうか?
もしかして私、越えてはならない境界線に踏み込んでしまったのだろうか?
利用者さんは本を出したくて仕方がない人。
辛うじて、私が本を書いていることは言わなかった。
だって、読みたい気持ちを煽ることになってしまうだろ?
利用者さんだって、自叙伝が書きたいわけだから。
やれやれ、通りで気が合うと思っていたのだが作家志望だったのね。
益々、新人賞を取るまではこの職場を離れてはならないと思った。
なんかさ、使命感みたいなものが沸々と湧き起こるのよ。
車椅子生活を余儀なくされた、体の不自由な利用者さん。
自叙伝が書きたいと思っていて、それが生き甲斐に繋がるとわかった私は、一体どうすればいいのよ。
きっとこの利用者さん、自叙伝を書くことによって生き生きすると思う。
編集や校正なら私がしてあげるのに。
うわぁ~、一緒に本の制作がしたいよ。
でもそれは、一介護職員としては許されざることなのだろうか。
先輩に相談してみようかなぁ。
きっと「公私混同」と言われるだろう。
利用者さんは私以上に波乱万丈な人生を歩んでいるようだ。
結婚してみたら、旦那様が同性愛者だったとか。
全く抱いてくれなかったとか赤裸々に語ってくれたので、私も自分の結婚時代のことを事細かく語って笑い合っていた。
この出会いを運命と呼ばずして、何て言う?
いやいや、参ったよ。
放っておけないでしょう?
それとも天は私に無視をしろと言うのか。
一介護職員というのも辛い立場だ。
何とかして、お力になれないものか。
私ってヤツは、お節介なのだろうか?
それとも放っておけないだけだろうか?
もしかしたら執着か?
利用者さんへの愛が暴走しているだけに過ぎないのか?
私はあまり人間関係で深入りしたり執着したりすることはない。
だから悩みは少ない方なのだが、意気投合して仲良くなりすぎてしまうこともある。
それは男女問わずである。
なんだか一介護職員のクセに、利用者さんの人生を左右するなんて責任だけでなく、罪悪感さえ芽生えてきた。
群像文学新人賞のことなど、言うべきではなかったのかも知れない。
しかし、言ってしまったということが結果である。
もう後には引けないのだ。
それかこの話はなかったことにしてしまうかだ。
一介護職員として、訊かれるまでは会話にしないこと。
それしかないような気もしてきた。
ただ、私はこの利用者さんにとって爆弾を抱えていることに違いはない。
傷つけないようにしなければならない。
ただし、生き甲斐を持ってもらいたい。
あぁ、私ってどうすれば良いのかしら。
しばらくは様子を見ることにする。
もしくは、立場上、何もしてあげられない旨を伝えるしかないかな?
一介護職員として、こういうところが経験のなさなのだろう。