橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

心がソワソワする原因

大したことじゃないけれど、重大なことに気づいてしまった。

どうやら私は充てもなく「待つ」ということが苦手なようだ。

せっかちなのか、心が浮遊してしまうのかはわからない。

ただ、特に不満もないのに、魂がソワソワしてしまうようだ。

何故、でんと構えていられないのだろうか。

そんな私を支えてくれているのは、紛れもなく「仕事」だ。

縁もゆかりもない富山県にいた頃も、仕事だけが私を支えていた。

この仕事に就けたのは奇跡だなどと、派遣社員のクセにそう思い込むようにしていたのだ。

工場もそう、ゴミ処理場もそう、ドコモショップもそうだ。

そうして私は長い年月、誰もいない富山県にいた。

ロクに友達も彼氏もできなかったが、自分の居場所だと言い聞かせていた。

それは東京にいても埼玉にいても同じことのように思う。

離婚を機に、スコーンと地方へ行っても良かったはずだ。

しかし、その頃は目的地が無かった。

仕方ないよな、その結果今の職場に出会ったのだから。

 

 

私って派遣だろうがバイトだろうが、正社員並みに頑張るタイプ。

雇用形態のことをグチャグチャ考えたりしない。

卑屈になることもない、とはいえ、差別を目の当たりにすると急激にモチベーションが低下してしまうのだ。

このままここで正社員になってしまうことも考えないわけではない。

しかし、ここにいたら私はダメになって行くのではないか?という予感もする。

せっかく介護職に出会ったのだから、どんどんスキルアップしたい気持ちもある。

修行って永遠に続くものだと思うが、いつまで続くのかな?とも思ってしまう。

 

 

そもそも、文章を書くということに関しては、それこそ途方に暮れるような修行が続いている。

陽の目を浴びれない私は、一体いつまでと考えてしまう。

確かに来年の五月は新人賞の発表がある。

それまでは何がなんでもここにいなければならないのだが、発表まで待つのが大の苦手。

ただ、発表を待つために今の仕事に出会ったような気がする。

ということは、ゴチャゴチャ言わずに、その日一日を黙って過ごせばいいのではないか。

目の前にあることをコツコツやることは、実は想像以上に難しいと言いたい。

辞めるに辞められない仕事があればまだしもだ。

それがなければ私みたいなタイプは、飛んで行ってしまうだろう。

 

 

頭ではわかっている。

先のことなど考えずに「今」を生きることが大切だと。

とやかく言わず、今の仕事に全力投球していれば、何かしら天が応えてくれるとわかっている。

日々をコツコツと言えば、私の場合は毎日の投稿を書き、介護職をし、『もち吉の願い』を書くことだ。

それが全てである。

後のことは、運任せにしていいのだろうか?

計画を立てても、こればっかりは計画通り行かないと思う。

何故なら如何に「今」を生きるかに懸かっているからだ。

つまり、忍耐。

来年の五月まで、運命がどう転ぶか見届けるのだ。

苦手なことはしなくていいとは、以前にも書いた。

しかし、忍耐だけは避けられないと思っている。

忍耐とはいえ、決して辛いものではない。

地に足をつけて「今」を生きることに専念すればいいだけ。

ね?

頭ではわかっているのに、どうしてソワソワするのだろうか。

たぶんこれは「不安」というものから来ているのだろう。

昔、まだ三十代前半の頃「不安」のしくみについて随分と勉強した。

全然覚えていないから読み返してみたい。

ただ、今となって思うのは、信じたい気持ちの裏返しのような気がする。

相手を信じたい、未来を信じたいというね。

それは切にわかる気がする。

いつも強気な私も本当は不安のかたまりかも知れない。

不安なんてないと言い張っているが、心がソワソワするということは未来に不安を感じている証拠かも知れない。