疲れた身体に赤ワインを流し込みながら、冷房をかけてパソコンに向かうと今日も一日が終わったんだなと思うことができる。
それと同時に、一体何を書けばいいのだろうかと悩む私がいる。
仕事の帰り道、何を題材に書こうかと考えるのだが、まず思い付くことはない。
パソコンに向かってダラダラ書き始めて、よし、今日はこれだ!という感じで進めて行く。
落ち着いた環境の下でしか閃かないようだ。
九月に入り、秋がもうそこまで迫ってきているものの、こちらは雨。
しかも通勤は時間に追われているもの。
季節の変わり目を味わう余裕もない。
ましてや、そこら中がコンクリートだらけ。
唯一自然があるのは、幼稚園のグラウンドくらいだ。
桜の木があるからね。
自然が恋しいと言いながら、いつまで都会で生活する日々は続くのだろうか。
そういえば、先日の投稿を読んでくれた友人がこう言っていた。
「人間関係というものは、同じ次元の人が集まり、それ以外は自然淘汰されて行くものなのだよ」
確かに!
そう思った。
自然淘汰、その言葉を聴いて合点が行った。
だから私は今、とても心地よい環境に身を置くことができているのかも知れない。
そりゃ、会ったことがない人も大勢いる。
それでも自然淘汰されて、同じ次元の人で集まっているような感覚はある。
一部の人を除いては、ほとんどが年上。
だけど私なんかよりよっぽどアクティブに生きている。
皆、ロックだ。
パンクだ。
ブルースだ。
こんなにバタクソつかれて眠たい日に、ロックについて語れるのか?
寝りゃあいいのに、目を擦りながらパソコンにかじりついている私がそもそもロック。
とはいえ、言いたいことをスパッと言い返せない私はパンクではない。
雨の日に浅川マキ聴いているのはブルースロックだよな。
ビールやワインを啜りながら、布団の上にぶっ倒れては起き上がってパソコンに向かう。
今だって本当ならシャワー浴びて寝てしまいたい。
だけど、自分で決めたルーティンは守り抜くってのは根性。
辛いのに、辛いことをするのはドМな証拠だろうか?
確かに毎日毎日長文書いて、満足している女は変態かも知れない。
あぁ、眠たい。
しんどい。
早く解放されたい。
それでも書くのが私。
酒飲んで煙草吸ってピアス開けるのがロックではない。
この辺についてはある程度年齢を重ねないとわからないことかも知れない。
生き様こそがロックだってね。
SNSを見ていると、パンクっぽい格好をしてロックを気取っている奴等がウヨウヨいる。
そうじゃないんだって、といつも思ってしまう。
それを言うなら、リハビリセンターに通う六十代の女性はめちゃめちゃロックだ。
趣味は読書とギャンブル。
麻雀や、カードゲームが大好き。
空き時間はいつも本を読んでいる。
私は彼女に私の著書を読んでもらいたくて仕方がないのだが、公私混同してはならないので、気持ちを抑えている。
きっと『破壊から再生へ』や『ロックンローラー』を読んで共感してくれるだろうとは思うけれども、何も言わない。
リハビリセンターでは、ポーカーゲームや麻雀は頻繁に行われる。
勿論、ギャンブルではなく「ゲーム」だ。
それらを楽しんでいる利用者さんにはロックを感じる。
私の著書の話はできないが、かつて競艇場で働いていたんだという話をした。
すると、その利用者さんは目を輝かせて私の話を聴いていた。
そしてこう思った。
やっぱり、この人はロックだってね。
決してギャンブルがロックだと言っているわけではない。
生きている感じがするのだ。
半身麻痺で車椅子でしか生きられないのだが、ビートが聞こえるのさ。
なんだか勇気をもらうことができる。
私は生きていていいんだってね。
先日、会った友達もこう言ってくれた。
「蓮さんの本は、勇気と希望を与えるよね!」
車椅子の彼女だって、万が一読んでくれたらこう思うはずだ。
「私って、生きていていいんだ」
ってね。
ロックに生きるとは、ビートを刻むってことだよね。