橋岡蓮 ’s diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

忘却の力で前に進め!

私個人的な解釈だが、嫌なことは忘れるのが一番なのではないかと思う。

つまり、忘却の力は最強であるということだ。

忘れるということは、どうでもよくなるという意味に近いかも知れない。

自分を苦しめるような嫌なことも、忘れてしまえばケロっと解放される。

何時までも何時までも、そのことを考えない。

無論、私には考えなければならない大事なことが山のようにあるはずだ。

下らないことはリセットしてしまわなければ、苦しみから解放されない。

 

人間には忘却の力と云うものがあって、先日までそのことで頭の中がいっぱいだったのに気が付くと別のことを考えていたということがある。

今の私がまさにそれだ。

つまりどうでもよくなったのだ。

それよりやるべきことに集中する。

すると嘘みたいに身体が呪縛から解き放たれたように感じることができた。

忘れようと思って忘れたのではなく、時間の経過と共に薄れて行ったという方が適切だ。

これぞまさに忘却の力。

人間って云うものは嫌なことは忘れるようにできているのではないだろうか。

中には執念深い人もいて、何時までも怒りや恨みという感情から解放されない人もいる。

傍から見ていると、苦しくないのだろうかと疑問を抱いてしまう。

私だったら、耐えられず負の感情に押しつぶされているだろう。

苦境に立たされている人ほどポジティブで明るいものだととある本に書いてあった。

そうじゃないと乗り越えられないくらい辛いことが沢山あるからだ。

逆説的に言えば、ポジティブで明るいからこそ乗り越えられるのだ。

 

また、こういう意見もある。

あまりにも苦労し過ぎた人は、人の痛みがわかる優しい人になるか捻くれてしまうかのどちらかだと。

確かにどうして自分はこんなにも苦労しなければならないのだと考えれば、世の中を恨むことに繋がるのかも知れない。

しかし、それでは世の中に負けたようなものにならないだろうか。

勿論、社会に出れば叩かれたり貶されたり批判されたりする。

だけどこの世には正解など無いということをわかっていれば、争いも起こらないし、反発することもないのではないだろうか。

答えなどないのだと言い聞かせて冷静でいれば、いつか忘却の力が沸いてどうでもよくなっていくものだ。

 

勿論ピュアな心を持ち続けることは並大抵のことではない。

一見すると、大人になろうとしない人だと誤解されることもある。

しかし、決してそうではない。

ピュアな心を保つ秘訣にも忘却の力は関係する。

負の感情を忘れてしまうことで、目に映るものが輝いて見えることは往々にしてあると思う。

そして前向きさを取り戻すことができる。

苦しんでいる時、冷静な第三者のアドバイスを受け入れる素直さも大事だ。

決して自分は正しくないという概念を常に持っていれば、相手の意見に耳を傾けることができるはずだ。

自分は未熟者だという認識は、非常に重要だと思っている。

私は圧倒的に年上の友達が多い。

だから彼ら彼女らに比べると、極めて未熟者だと痛感している。

小さなことでクヨクヨしたり、大袈裟に落ち込んでしまったり、達観しているように見せかけて全然達観できていない。

だから偉そうなことは言えないのだが、あくまで自分が想っていることを書き綴っている。

ただ、これだけは言える。

自分を信じるということと、自分は間違っていないと思うことは真逆であるということだ。

常に自分は間違っているかも知れないという意識と闘うことが、自分を信じるということなのだと思っている。

そして忘却の力によって自分をコントロールしながら、前を向いて目の前にあることに全力で取り組むことが大切なのではないだろうか。

そういう私も正直に言うとお先は真っ暗だ。

だけど楽観的思考と根拠のない直観だけで、今を生きている。

少なくとも、まだ絶望的ではない。

そう把握している。

 

 

破壊から再生へ

破壊から再生へ

  • 作者:橋岡 蓮
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)