nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

酒と煙草を嗜むのは希少価値

買い出しを済ませた午後、西日が入る二階の自分の部屋でカーテンを開け、ママス&パパスを聴きながらこれを書いている。

背中にたっぷりと陽射しを浴びているので、エアコンを付けなくてもガウンだけで十分暖かい。

夢のカリフォルニア』を聴いたら満足して、ブラックサバスの『パラノイド』に切り替えた。

 

ところでとある方の記事に書いてあったのだが、最近は酒を飲む人口が減っているらしい。

ということは、私みたいに一日も欠かさず毎晩日本酒一合以上の酒を飲む女は天然記念物に近いのかも知れない。

昔は、自由に飲みたいからと云って、酒と煙草を嗜む男としか付き合わなかった。

最近はそういう拘りは捨てて間口を広く開けている。

しかし、もしかしたらどんなに間口を開けていても、私のような酒も煙草もやるような女は受け入れられないのかも知れない。

そんな中で、両方好きなだけやってもいいよ!と言ってくれる人は貴重だ。

貴重であり、気楽だ。

そうやって甘やかしてくれる男達がこの世にいる限り、私は両方止めないだろう。

止めるとしたら、好きで好きでどうしようもない男ができて、その人が肺気腫だとか苦労して煙草を止めたばかりとか、そのような理由があってのことだと思う。

嫌われたくないから、私のことを好きでいて欲しいから、運命共同体になるつもりで私も煙草を吸わなくなるだろう。

仮に、相手が見つからずに寂しい人生を送ることになったら、開き直って機関銃のように吸いまくることだろう。

そして晩酌のために生きるような生活に逆戻りすることだろう。

 

逆戻り?

そう、私は文章を書き始めるまで何の生き甲斐もなく生きていた。

何のために生まれ、どういう道を歩いて行けばいいのかまるでわからなかった。

だから全てを晩酌のために注いでいた。

晩酌で美味いビールを飲むために汗水垂らして働き、コンビニで買った缶ビールをシャワーを浴びている間冷凍庫で冷却し、そのビールを美味く飲むためだけにつまみをこしらえた。

そして如何に気分良く酔えるかのためだけに、その日の音楽や映画をセレクトした。

今では映画を観ることは、どこか仕事じみている。

良い文章が書けるようになるために、映画の一本でも「観なければならない」という風に変わってしまったのだ。

半強制的にその作業をさせられるようになってからは、ゴメンなさい、あまり観なくなった。

せっかくU-NEXTに登録して毎月金を払っているのに、どうも気が進まない。

その代わりと云っては何だが、本はよく読むし、今まで以上に音楽は聴くようになった。

BGMに依って、その日の文章の雰囲気が変わるのが楽しくて仕方がないのだ。

前にも書いたが、文章を書いている時は洋楽に限る。

耳が歌詞に行かないからだ。

私は英語はてんでダメなので、何を歌っているのかさっぱりわからない。

だからBGMになるのである。

 

残念ながらリビングにはオーディオがないので今は晩酌の時は音楽が聴けない。

オモチャのようなノートパソコンにはCD-Rが付いていない。

テレビでは大抵キャンプ動画かNHK番組が流れているのでYOUTUBEを流すこともできない。

酒も煙草も嗜む人が減り、天然記念物になりつつある私はちょっくらこの辺で晩酌の在り方も考えた方がいいと思っている。

貴重な時間と金をつぎ込んでいるのだから、最も心地の良い時間にしなければならない。

ススキノ育ちの私は、居酒屋で飯、バーでジンと音楽、タクシーで帰宅のような生活が理想なのだが、もうそんな時代は終わったのだろう。

せめて二階の自分の部屋に籠って、ヘッドフォンで爆音で音楽を聴きながら晩酌できたら最高なんだけどな。

俺の家なんだから、俺のルールに従えとか怒られそうだが。

そんな私には秘密兵器がある。

チバユウスケが宣伝しているスマホ用イヤホンだ。

最近は専らこれで自分の世界に入るようにしている。

ある意味、私も我が儘だ。

つまらないテレビに付き合う気はないらしい。

 

 

破壊から再生へ

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  • 作者:橋岡 蓮
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