nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

この世が滅びても

ストリートスライダーズの九十九年のライブを聴きながらこれを書いている。

映像を観ながら聴きたいのだが、私は白紙に向かっている。

時間がたっぷりある時くらい、音楽を鳴らしたい。

朝はベーコンエッグにクロワッサンを食べた。

私は旦那が休日の日くらいしか朝食を食べない。

煙草も吸っているし、酒は飲むし、運動はしないし、飯はちゃんと食べない。

早死にするかも知れないが、長生きしたいと思っている。

でも世界は終わりに向かっているじゃないか。

長生きしたところで、何か良いことはあるのだろうか?

 

 

私にできることは、文章を書いて、音楽を鳴らして酒を飲むことくらい。

煙草はどんどん値上がりして、私の収入では吸えなくなる時代が訪れるだろう。

十月には私のキャメルは五百円になるらしい。

一日一箱半吸うので、七百五十円。

二日で千五百円。

た、た、た、高い!!!

吸える場所もほとんど無くなって、健康に最も悪いものとか言われて、半ば煙草を吸っているだけで犯罪者扱い。

まだ、埼玉県は労働者の町だから、喫煙オッケーな店は辛うじて残っている。

でも煙草自体が買えない世の中になってしまったら、そういう店の価値もなくなるわけで。

私なんか止められる兆しもないので、煙草が吸えない苦しみに耐えられず、千円札握りしめて煙草屋に走るんだろうな。

それで勿体無いから、シケモクばかりするんだろうな。

煙草を止めた経験のある人は、止められない私の気持ちがわからないようだ。

 

 

不思議なことに、パン屋で労働している時はこれっぽちも吸いたくならない。

それなのに、帰ってきて一服したら最後。

その一本のお陰で、寝る直前まで吸っている。

この文章を書き終えるまでに三本は吸うな。

そもそも、煙草を止めるということは、ジッポを使うこともなくなるということ。

それも寂しいよな。

確かに、我が家は二人してヘビースモーカーなので煙草代が半端ない。

それでもニコチン中毒だから仕方がない。

ちょっと前に、あまりにも咳が止まらないから肺気腫になったんじゃないかと思って病院でレントゲン撮ったら「綺麗な肺です!」とか言われたし。

喫煙者の言い訳としては、だってチバユウスケだって吸ってるじゃん!みたいなこと。

ハリーだって、煙草は相棒みたいなものだったからな。

ハリーもいつか「この世は終わり」みたいなことを言っていた記憶がある。

からしたら、煙草が日本中でNG扱いされた時点で、この世の終わりを感じた。

 

 

だが、根拠のない予感だが、私は生き残ると思う。

結局、煙草を止めなくても肺気腫になることもなく、健康体で寿命まで生きる気がする。

それで、若者からお年寄りまでロックと文章で楽しんでもらっているような気がする。

どこまで楽天家でお調子者なのかと思われるかも知れないが、本気でそう思っている。

私が想うに、独自の生き方(ライフスタイル)を持っている人はこれから強い。

私流で言うならば、つるむことなく、群れることなく、自宅にいながら大勢と繋がることができて、自分の哲学を持っていること。

哲学書を読めとか、そういうことではない。

人生の中からしっかり学ぶべきことを学んで、それを哲学にできているかどうかだ。

 

 

もうとっくに個人の時代は到来している。

よく、命がけで生きろ!と言われるのだが、私の考えはちょっと違う。

あくせくしても仕方ないのではないかと思ってきた。

命がけで生きなくても、くたばるヤツはくたばるし、生き残るヤツはしっかり残る。

問題は、生き残った後、何をするかだ。

今は多少ボーっとこの世の終わりを眺めているのも悪くはないのではないだろうか。

どうせいつか吸えなくなるんだから、煙草でもふかしながら。

ま、私はこの世が滅びても生き残って文章を書くけどね。