浅川マキを聴いている。
最近ミッシェルガンエレファントばかり聴いていたので、退屈な日曜日の昼下がり、音楽を変えようと思ったのだ。
ダラダラ流れる時間、空も退屈そうな曇り空。
外は涼しいが、部屋の中は蒸し暑い。
そんな時は缶ビールを開ける。
夜になる前に、これを書いてしまうことにする。
最近思うことがあるので、賛否両論、反論があることを覚悟で書く。
「生き方」って百人いたら百通り。
それって人や本や映像に左右されるものじゃなくね?
私は尊敬する人は多々いるが、左右されることはない。
しかし、どう生きればいいのかわからず彷徨っている人がこの世には大勢いる。
だからこそ、ハウツー本や自己啓発本などが売れるのだろう。
はっきり言って、人生なんてこれしかない。
「働いて、メシ食って、寝る」
それが基本中の基本なのだ。
趣味がある人はそのために働けばいい。
何もない人は、メシ食って寝るために働いていればいいのだ。
他人と比較するから虚しくなるのであって、俺は私は人間の本来あるべき姿を生きていると思えばいいじゃないか。
それなのに、このように生きるべき!みたいな情報が多すぎる。
私の場合はこうだ。
生活のために働いて、酒飲んで煙草吸って音楽聴いて、文章書いて寝るだけ。
それについて虚しさなど感じたことは一度もない。
全てはルーティンである。
メシ代、煙草代、酒代、必要なのはそれだけ。
汗水垂らして働くことは仕事後のキンキンに冷えた缶ビールのためだ。
至ってシンプル。
それなのに世の中の一部の人間どもは、人の生き方を左右しようとする。
例えば、ああいう生き方はダメだ、こういう生き方はダメだとね。
極論を言えば、パチンコやって酒飲むだけの人生だって虚しさを感じる必要はないのだ。
ただ、ソイツはこの世が美しいと感じることができないだけだろう。
何が言いたいかって、他人様の人生や生き方を揶揄する情報を与えようとしている人間には興味が無いということだ。
私に生き方など教えようとしている人がいたら、いらないね。
私の人生は私だけのもの。
他人様にとやかく言われる筋合いもない。
「生き方を伝授」などという謳い文句のものがあったとしても観ることもない。
タイトルを見ただけで、なんだコイツ?と思ってイラっとするのみである。
そもそも私の生き方は私だからこそできるもの。
真似する人もいないとは思うが、誰が同じことをしても同じようにはならないのが人生。
だから私もどんなに素晴らしい人がいたとしてもその人の生き方を真似ようとは思わない。
恐らく、学ぶこともない。
ただ、自分に似た生き方の人には共感はするだろう。
しかしそれは自分の生き方を肯定しているから共感するのであって、もう既に独自の生き方を確立している証拠でもある。
子供もいないのにどうしてフルタイムで働かないのか?と散々言われた頃もあった。
しかしそれなりの理由があってのこと。
結果的に二冊の本を書いた。
発売停止や在庫切れのものを入れると四冊の本の制作を手掛けた。
ある程度完全燃焼したからこそ、今、介護職に全力を捧げられるのだ。
隣の芝生は青く見える。
そんなことばかりやっているから、「生き方」について他人の意見を求めようとしてしまうのではないだろうか。
自分の芝生は青いと思っているヤツに限って、その生き方を伝授しようとしているのならばお門違い。
基本的に、他人は他人の生き方に興味はないもの。
だってそうでしょう?
自分が自分らしく生きることで精一杯。
人の目ばかり気になる人は、生き方について云々言っている人の意見をシャットアウトすることから始めてみてはどうだろう?
何度も言うが、人生なんてものは「働いて、メシ食って、寝る」に限る。
プラスアルファ、音楽や酒が不随しているだけのこと。