nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

苦労を苦労と思わない

疲れているせいか書いては消してを繰り返している。

もう寝る時間なので、足早に書きたいところ。

しかし、久々の連休なので真剣に書こう。

こりゃ、根性だな。

そんなことを言うと、笑う人がいる。

以前こう言われたことがある。

 

「蓮さんは苦労慣れしてしまっていて、苦労しないと物足りないようになっている」

 

いやいや、そんなことはない。

どうして私がやっていることを否定的にしか表現できないのだろうか。

言うまでもなく、私はそんなことを言われてとても嫌な気持ちになった。

苦労しないと物足りない?

随分バカにした物言いじゃないか。

中にはこうやって言ってくれる人もいるのに。

 

「蓮さんは苦労してきただけあって、苦労を苦労と思わないんだね」

 

そうそう、そうなのよ!

そういってくれればとても気分がいいのに、否定的な人は残念でしかない。

何事も言い方一つだと思う。

苦労が美徳なんて微塵も思っていない。

そんなものしなくていいならしなくていいのだ。

しかし、この世で生きて行くためには苦労は付き物。

仕方がないのである。

楽な生き方もあるのかも知れないが、それが上手くできないのは私が不器用な証拠なのだろうか。

もしくは、楽な生き方をしたことがないからピンと来ないのだろう。

尤も、汗水垂らして働くことは苦労ではない。

恐らくそこを勘違いしている人もいるのだと思う。

汗って云うのは、私個人的には眩しいものだと思っている。

努力も涙も喜びも含まれた結晶だからだ。

それをバカにするヤツがいるならば、その人は寂しい人生を送っているに違いない。

ブルーカラーもホワイトカラーもない。

デスクの前で座っていても、頭に汗を掻いているからだ。

ただ、私は文章を書く以外、頭に汗を掻くホワイトカラーの仕事が苦手である。

じっと座っていられない。

だからブルーカラーの仕事を選んでいる。

身体を動かしている方が、満足感が得られるのだから仕方ない。

そりゃ疲れるさ。

ただし、誰にでもできるなんて大間違いだ。

自分の仕事に誇りを持ち、美学を感じることができるならば、それは紛れもなく天職だ。

逆に、不平不満ばかりで苦痛を感じているならば、それは苦労なのかも知れない。

私は日々、汗水垂らして働くことが美しいのだと思ってやっている。

そしてたかがSNSだが、毎日投稿することにも美学を感じている。

何故なら、コミュニケーションが成立しているからだ。

 

 

あくまでも私の場合は、私に興味の無い人には興味が無い。

もっと言うならば、私に対して否定的な人からは、私の方から去ってしまう。

おべんちゃらを使えとか、当たり障りのないことを言えとか、そういうことではない。

要は、人として当たり前のコミュニケーション能力を身に付けていない人とは付き合い切れないという話。

話を戻すが、本人が良かれと思ってやっていることは苦労とは言わない。

無理強いさせられているとか、困難に耐えているとか、そういうことが苦労なのだ。

差別、虐待、貧困、モラハラ、無視など色々ある。

たまたま私の場合はそういった涙を押し殺して耐えざるを得なかった経験があるから、労働などは苦労とは思わないのである。

 

 

最初に戻るが、私のことを苦労慣れしているなどとほざくヤツはコミュニケーション能力が低いだけではなく、多くの人のことをバカにしているのだと思う。

逆に、苦労を苦労と思わないんだねと言ってくれた人は、人生の酸いも甘いも嚙み分ける力が備わっているのだろう。

ほらね、よっぽど悔しかったし、よっぽど嬉しかったようだ。

言葉一つで全然違うということは、言葉一つで人生が変わると言っても過言ではない。

嫌味しか言えない人は、それなりの人生が待っている。

人の痛みがわかる人は、人に恵まれる。

やはり気をつけなければならない。

しかし、気をつけて身に付くものでもなさそうだ。

優しい気持ちを持ち合せているかどうかが鍵だと思うのは私だけだろうか?