仕事帰りドラッグストアとスーパーに寄った。
洗濯剤や歯磨き粉などを買った。
とても暑い一日だったので、案の定バテバテ。
スーパーへ行ったのだが、選ぶ時間が勿体無くて「七種類の栄養が摂れる鮭弁当」を買った。
帰ってきて蓋を開けてみると、苦手なかぼちゃや煮豆が入っていた。
それでも身体のためと言い聞かせて完食した。
人参も苦手だったのだが、社食でこれでもかというくらい出てくるので食べず嫌いだったのだなと知った。
食後に洗濯をし、休む暇もなくこれを書いている。
あと三十分で風呂に入りたいので、集中して書こう。
一つショックだったことがある。
介護職を始めてピアスを外していたら、ピアス穴が塞がってしまった。
ピアス穴ってこんなに早く塞がってしまうものなのだろうか。
いっそのこと、ピアスを捨てようかとも考えた。
おっと、凄い雷。
マイルームは、チバユウスケ率いるバースデーが鳴り響いている。
雷に負けないくらいボリューム上げてやろうか。
幸い、ここは古い物件だが鉄筋コンクリート造り。
隣りの部屋の音は聞こえたことがない。
かといって、夜に大ボリュームは遠慮してしまう。
どうやら雨は止むようだ。
ヤバ、書きながら寝てた。
私は介護職はスポーツと同じだと考えた。
頭ではなく身体でコツを覚えるものだということだ。
そこで考えたのが、どんなに覚えるのが遅くてもメモを取らないということだ。
賛否両論だとは思うが、メモを取っていたらメモを見ながらしか仕事ができなくなるような気がした。
昔、ピアノをやっていたのだが、私は楽譜を見ながらしか弾けない人間。
どうしてピアノの先生は私に耳コピを教えてくれなかったのかと思うほど。
『戦場のメリークリスマス』が弾きたくて仕方がないのに楽譜が読めなくて弾けない。
かといってその曲のためにピアノ教室へ通う時間と金の余裕はない。
無論、ここはアパートだからピアノは置けない。
だから離婚した時に、ピアノは置いてきてしまったのだ。
楽譜を見ながらしか弾けないピアニストなんてダサくないか?
だから私は何事も仕事に於いては身体で覚えるようにしている。
そうすれば、勝手に身体が動くようになる。
送迎の道を覚えるのも、車椅子の操縦を覚えるのも同じこと。
まだ始めたばかりだからテンパっているけれども、至ってシンプルな単純作業。
これといって難しいことはないはずだ。
そもそも、文章を書くにあたってもマニュアルなどない。
我が家には『小説教室』などというバカげた本があるが、そこに書いてあるのは小説の書き方ではない。
本を沢山読むこと、文章を書くことに慣れること、新人賞を取ること、現職を止めないこと。
それしか書いていない。
私は初めてこの本を読んだ時、ふざけんなと思った。
何故なら、新人賞なんて誰もが欲しいからだ。
当たり前のことをマニュアル本として書いていいのだろうか?
私の方がもっとまともな『小説教室』が書けるような気がしてならない。
仕事のメモは、それに近いものがある。
勿論職種によって千差万別だが、私の職場ではメモは要らないと判断した。
私の場合いくらメモを取っても、どこに何を書いたかわけがわからなくなるタイプ。
だったら先輩の前で堂々とノーメモでいればいいのだ。
確かにメモを取れば?という指摘はされた。
でも、気にしない、気にしない。
体得こそ、ブルーカラー労働者に必須である。
覚えてしまえばこっちのモノ。
ただ、石の上にも三年いれば暖まるとはいうものの、私はここに三年間もいるだろうか。
まぁ、よほどのことがない限り続けるつもりだが。
よほどのこととは人生が変わるようなこと。
それまでは、あまり先のことを考えず、一日一日を大切にしようと思っている。
運命ってものは、案外向こうからやってくるから。