nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

ギリギリで生きてこそ

いやいや、久々に飲んだなぁ。

日中友達とLINEしていて、急に会いたくなったので会うことにした。

自宅近くの居酒屋で、四時間くらい飲んでいた。

恐らくビールの後に日本酒を挟んだのが大きな間違いだった。

帰宅して、なんだか気持ちが悪くなって、トイレに駆け込んでしまった。

多少は胃がスッキリしたので、急いでこれを書いている。

もう一回くらい波が押し寄せそうな気もするが。

まさか生牡蠣にあたったのかと思ったが、単にチャンポンして飲み過ぎたらしい。

それにしても、極寒!!

いつまで経っても部屋の中の気温が上がらない。

身体に張り付くように置いてあるファンヒーターは、頑張ってくれてはいるのだが、外気の冷たさを誤魔化しきれないようだ。

手袋だけではなく、マフラーが必要だったのかも知れない。

友達からもらったものがあるので、持参して行くべきだった。

モコモコ靴下を履き、ブランケットを掛けているが、それでも身体の震えは止まらない。

熱いコーヒーでも飲みたい気分だが、カフェインを胃の中に注いだら、また吐き気をもよおしてしまいそうだ。

というわけで、牛乳を飲んでいる。

こんな時間に飲むものではないのだが。

だが、ぶっちゃけめちゃくちゃ楽しい時間を過ごした。

久々にしこたま飲んだから、具合が悪くなっただけに過ぎない。

 

 

さて、急いで書くつもりがなかなか捗らず、あまり時間が残っていない。

不思議なもので、焦っている時に限って進まない。

これは寒さのせいにしてもいいだろう。

今月はあまり予定を入れていないとは、度々書いた。

なんとなく、疲れを癒しているように見られがちだが、自分にプレッシャーをかけている面もある。

この退屈な一ヶ月を編集作業のみで埋めるということ。

勿論、病院やら役所やら用事は多々あるのだが、そういう問題ではない。

人間にとって最も恐ろしいものは退屈である。

それを重々承知の上で、私は自分に退屈を与えた。

これはある意味挑戦的なことであり、まさに自分との闘いなのだ。

退屈を受け入れた私は、やることがないので編集作業をするしかなくなる。

そうやって自分を追い込むことで、クオリティの高い作品を残そうとしている。

ある意味、作戦でもある。

なぜなら、本来人間は退屈だとロクな方向に行かないからだ。

忙しいうちは、気を張っているから、自分のことを誤魔化せる。

だが、目の前に退屈のみを差し出された時、堕落する。

よほど目的や志がない限り、欲望にのまれてしまう。

自暴自棄になったり、自己嫌悪に陥ったりしがちだ。

そんな自分を唯一支えてくれるのが、私にとっては編集作業ということだ。

だから私は退屈なのではなく、編集作業に忙しいのだと言い聞かせている。

実際はその逆で、退屈だからこそ編集作業をするしかないのだ。

このニュアンス、上手く伝えられているかどうかわからないが、自分の中にあるものを整理するためにここに書いている。

全ては自分のため。

結局は退屈を受け入れることが、巡り巡って自分のためになるのだということが言いたい。

 

 

世の中には退屈な人間が五万といる。

その中のには、私のような目的意識を持っていない人が多いと把握している。

なぜ、私の中に目的意識があるかというと、今まで苦手なことだけを全力でやってきた結果だ。

得意なことばかりやっていたら、心の中に唯一の価値は見いだせなかっただろう。

一見遠回りの人生だと思われがちだが、決してそうではない。

これだけの経験値を積むのには四十二年間が必要だったということだ。

そう考えたら、まだまだこれからなんだと思えてこないか?

挑戦というものはし続けてなんぼ。

自分を窮地に追い込むのも自分、崖っぷちに立たせるの自分。

ギリギリで生きてこそ輝くのが私。

安定とは、どうやら無縁だとは認識している。