今までずっと私を苦しめてきたのは、強すぎる正義感である。
義理人情とか、礼儀わきまえとか、恩とか、秩序などを重んじるがあまり、筋の通らないことをひどく嫌う傾向にある。
それが通らない世の中だからこそ、私は殻に閉じ籠り、人々を拒絶してきた。
だけど、それは私の弱さであるというご意見を頂戴した。
なぜなら、私の根底には自分の考えをわかって欲しいという強い気持ちがあるからだ。
それが弱さなのだと。
そのご意見は私の中に腑に落ちたので、こうして書かせて頂いている。
要は、必要なのは社会性ということだ。
例えば、前提として私は自我が強い。
よく言えば理想が高いことにも通じる。
しかし、理想というものは、内に秘めるものだそうだ。
人に押し付けるものではないということだ。
私だったらこうするのに、どうしてそれがわからないのだろう?
というような考えに陥って、時にはイライラし、どうしようもない怒りと切なさをトップにぶちかましていた。
そんなことの連続だ。
「文句あるなら辞めれば?」
これが大抵の上司並びにトップの答えである。
全開で自分の本音をぶちまけると、干されるのだ。
誰よりも売り上げを伸ばし、誰よりも真面目に取り組んでいたとしても、最後に首を切られるのは私。
正論なんてものは何の役にも立たないということを承知している。
それなのに、私にはトップに対する忠誠心がある。
トップの顔を立てないヤツには猛烈に怒る。
ところが結果的にはトップから疎ましいと思われてしまう。
何もかもはこの正義感が邪魔をしているのだ。
いや、正義感なんてカッコいいものではない。
自我の強さだ。
だからそんな私を見兼ねて「秘める」ということを教わった。
人に理解を求めるのではなく、自分だけで実行するもの。
そうか、そういうことか。
非常に納得してしまった。
恐らくこれから私が自由に生きて行きていきたいことを察してくださった上でのご意見だろうと思う。
孤立して殻に閉じこもらないように心配してくださったのだろう。
私みたいな我が強い人間は、社会から孤立しがちである。
なぜなら、筋の通った人間なんてもうほんの一握りだからだ。
かなり年配の方ならご理解頂けるかも知れないが、皆が皆そうではないだろう。
それなのに私みたいに自分の常識を他人に求めてしまうからいけないのだ。
わからなくて当たり前という心構えを持ち、人に押し付けないことが重要だ。
そこで出てくるのが「社会性」だ。
友人はこの社会性を「策略」と呼んでいる。
言っていることは同じだと私は認識している。
社会で生きていく上で、社会性を身に付けていなければ、爪弾きにされてしまう。
それが嫌なら、死ねば?というレベルだ。
生きることをやめればいい。
裏返せば、生きることはそれだけ大変なことだということだ。
それにしても腹が減って敵わん。
すぐにタクシーに乗ってホテルにチェックインした私は、コンビニにも寄らなかった。
なぜなら雪が酷かったからだ。
というのも、私はホテルでこれを書いている。
大雪が予想されていたので、電車が止まってはこれが書けないと思ったから、出先近くのホテルをあらかじめ予約していたのである。
モーニングが食べたいけれども高いので、ホテルを出たら直行直帰するかも知れない。
ただ、部屋に備え付けの湯舟が大きいので、堪能してからチェックアウトしようと思っている。
すきっ腹にビールは辛いが、こんな日もある。
まとめとしては、女って生き物はどんなに粋がったって、所詮女であるということ。
社会性の乏しい生き物かも知れない。
お喋りが好きで、わかってもらいたい気持ちが強いからだ。
イタタタ、でも図星。
母さんになんでも話してしまうのも良くないなと反省している次第だ。
私みたいに、我が強い女は、そりゃ社会の中では生きにくいよな。
かといって、何とかしなければならないのが現状。
さて、これからどうやって生きていこうか。