ヤバ、これから出掛けるというのにネタが浮かばない。
パソコンの前に何時間座っているのだろうか。
とはいえ、妙に安堵に包まれている。
この安堵感は一体何なのだろうか。
「天は自ら助くる者を助く」
以前にも書いたが、やはり天は小説『ロックンローラー』を書いた私を見捨てなかった。
まさかのまさか、あの小説を書いて安堵に包まれるだなんて思ってもみなかった。
最近、気持ちが安定しているのは、やはり達成感から来るものなのだろうか。
その辺について分析でもしてみるか。
とはいうものの、頭が働いていない。
残すところ、あと一時間で書けるだろうか。
ボーっとしていたら時間ばかりが過ぎる。
そうそう、なぜ私は天に助けてもらえたのかについてだ。
それは紛れもなく、あらゆるものを捨てながら生きてきたからではないだろうか。
だって私は堂々と人様に言えるようなことは何一つしてきていないからだ。
しかし、ほんのたまに人を救うことがある。
頭が回っていないのでまたまた自分で言ってしまうが、私に出会った方は少なからずこんな人間でも生きていることに驚くのではないだろうか。
蓮さんが生きているなら、私だって俺だって生きていていいんだと。
そういう影響は与えられているように思う。
サラッと書いているが、これって凄いことだと思わないか?
ダメ男を好きになる女の気持ちがわからないと言う人がいた。
私にはそれがなんとなくわかってしまう。
想像すると、幾つかパターンがあると思う。
自分に自信がないとか、独占欲が強いとか、誰にも取られたくないとか、自分に見合う人がダメ男しかいないとか。
これらのどれもが私にも当て嵌まるので笑える。
私も好きになった人は自分だけのものであって欲しい。
だから孤独な人を選ぶ傾向にある。
そうやって選んだのが元旦那だったのだが、最近は話題にも上らなくなったようだ。
それはさておき、ダメ男を好きになる心理というものは、私ごときが皆様から愛されているのと似ていないか?
人間は安心したい生き物なんだと思う。
前にも書いたが、私はこれといって何もできない人間ではあるが、かえってそれが人々の安心感に繋がっているような気がするのだ。
暗いのか明るいのかわからない私は、根はすこぶる明るい人間である。
だから何の取り柄もないのに笑って生きていられるのだ。
これもまたサラッと書いたが、凄いこと。
唯一取り柄があるとすれば、生命力だ。
よくぞここまで生き残ったと言っても過言ではないだろう。
それなりに歳は重ねたけれどもね。
天から助けられた人の多くは金を持ち、技術や知識もあり、また才能を与えられているのかも知れない。
ところが私のように何も持たなくとも天から見放されない人もいる。
そんな私の存在は、ある意味天然記念物ではなかろうか?
誰かが、昔、「生きているだけで丸儲け」と言っていたっけ。
それはまさに私にピッタリの言葉のように思う。
またまた自分で言ってしまったけどね。
私は私のままでいることに安堵する。
自分で自分に安堵するのだ。
私が私らしくいられない環境からは遠ざかるようにできている。
私のままでいさせてくれない人からは離れるようになっている。
おっと、書き終えていないが、そろそろ出掛ける時間だ。
今日も旅に出てくるぞ。