何事もコツコツ地道な努力を続けていれば、最後には成功する。
仕事のパートナーからその言葉を頂戴した。
そうか、前向きな努力をした者こそが、報われるのだな。
そんなことをしみじみと噛み締めながら、これを書いている。
私の日々の投稿も、あながち無駄には終わらないかも知れない。
なぜそう思うかについてはもう何度もここに書いているかも知れないが、努力できる天才は五万といるのがこの世。
私は無知無学から脱出したいが、なかなかそうはいかない。
しかし、毎日人より努力することはできるかも知れない。
一ヶ月何十冊も本を読むことはできないが、毎日コツコツと文章を書くことはできる。
ここまで来ると根性かも知れない。
根性は必ずスキルに結び付く。
そして、根性から生まれたスキルは必ず自信に繋がる。
自分の可能性を信じて努力をやめないことこそ、才能と言うのではないだろうか。
そもそも、成功とは何を差すのだろうか。
矛盾しているようで申し訳ないのだが、成功とは目指すものではないと思っている。
結果論だ。
例えば私の書いた作品が、一定数の人々に受け入れられたらそれは成功だと思っている。
私の中には「売れる、売れない」の概念はない。
いかに人々の記憶に残るような作品を生み出すかだ。
しばらくしてから、もう一度この本読んでみようかな?と思ってもらえたら本望である。
そんな作品創りを目指していて、これからも続けていく。
さてさて二月も終わりだ。
つまり、早いもので私の冬眠生活が終わるということだ。
三月に入ったら、精力的に活動を始める。
とはいうものの、作品は仕上げの段階に入る。
今は、常に気持ちが張り詰めた状態で、少々緊張していると言っていいだろう。
そんな中でも積極的に、人に会おうと思っている。
勿論、制作に携わった人が中心なのだが、とにかく感想が聴きたい。
その感想を元に、詰めの作業がしたい。
何となくだが、『ロックンローラー』は期待されているような感じがする。
いよいよ、裏切れない。
執筆作業を振り返るのはまだ早いかも知れない。
ただ、この本は私がたった一人で企画立案したものだ。
テーマについて誰かから何か言われたわけでもない。
何年も前から、頭の中にずっとあった物語。
このネタはいつか本にしなければならないと思っていたものだ。
それが実現するということは、ある意味興奮することでもある。
先日、とある仕事のパートナーにこのようなことを言われた。
「営業力はないけれど、企画力はある!」
ほほぉ~、確かに仰る通りだと思った。
私は書くこと以外何もできないと泣きべそ掻いているが、(書くことも半人前だが)確かに企画することは得意だ。
どういうテーマに沿って、どのように組み立てて、どうブランディングするのか。
確かに、確かに、それなら私にもできる!
それを言われてから、私の中に眠るひがみ根性は消え失せ、開き直るようになった。
そして、私は「書く」ということを極めて行けばいいのだと。
そう思うことができた。
結論としては、苦手なことがあるからこそ得意なことは光ると言いたい。
仮に私がオールマイティな人間だったら、文章など書いていないだろう。
とっくに企業の営業マンとか、キャリアウーマンになっていたことだろう。
私みたいに忙しいことを口にするうちはまだまだ二流で、一流は忙しさなど見せないものだと知っている。
だが、私が包み隠さず表現するのは、大抵の人間は日常に忙殺され、アワアワとし、今日という日がまた過ぎゆくことに溜め息をつきながらも充実を手に入れることに必死であるということを知っているからだ。
涼しい顔をして成し遂げられる人こそ、陰で青筋立てているのも知っている。
不器用な人間は、ありのまましか語ることができない。
しかし、そのようにして表現されたものは真実ゆえに輝くものだと思っている。