nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

傷のなめ合い

久々の夜の上野も居心地が良かった。

帰りの時間を気にする必要がなくなった私は、沖縄料理屋でオリオンビールを一本飲み、その後雑貨屋などを回って灰皿を探した。

気に入ったものがなかったので、トボトボと部屋に帰ってきた。

沖縄料理屋でラフテーを食べたので、夕飯は要らない。

急いで書いてしまうことにする。

時間があまりないのだが、書けるだろうか。

 

 

テーマは決まっている。

純粋な人ほど騙されやすい世の中だということだ。

不純な私が言っても何の説得力もない。

しかし、私だったら純粋な人を見たら、この人のことは傷つけてはならない、裏切ってはならないと思う。

友人曰く、そのように想う人の絶対数は極めて少ないそうだ。

多くの人は純粋な人を腹の中で馬鹿にし、弱みにつけ込んで、自分の都合のいいように利用しようとするとのこと。

この世は腐っているのだと感じた。

それと同時に、この世にいるのがとてつもなく嫌になった。

私は自分では純粋だなんて思わないが、中にはそう見ている人もいるようだ。

その上で大事にしてくれる人もいれば、腹の中で馬鹿にしている人もいるのだろう。

そう考えると、腹立たしさを通り越して、無性に消えたくなる。

世の中捨てたもんじゃないと思える瞬間もあれば、このまま馬鹿にされ続けて生きることに戸惑いを感じることもある。

世の中の実態を今頃知ったようで、無知だったなと情けなくもなる。

こういう現実を目の当たりにすると、生命力が奪われる。

しかし、生きる気力を失うくらいだったらやはり付き合う人を選んで、守られながら生きていきたいと願う私もいるわけで。

よく傷のなめ合いみたいなことを言うが、それでもいいんじゃないかと思ってきた。

まるで生産性のない言葉だが、傷をなめ合える人がいるだけマシのような気がした。

傍から見れば、愚痴り合っているだけのような関係かも知れないが、一緒に愚痴り合える仲間がいるということに救われる人だっているのではないだろうか。

傷のなめ合いなのでテンションは上がらないけれども、なんとなくホッとできて自分は一人じゃないと思えるならば最高だと思った。

 

 

なんだかんだ言っても寿命が来るまで生きなければならないわけだが、少しでもストレスが少ない環境で生活したいものだ。

もっと言うならば、必要以上に傷付かなくて済む環境だ。

とはいえ、この世は戦場だ。

私の大嫌いな競争社会でもある。

生温いことは言っていられないし、本来ならば強くならなければならないと百も承知。

馬鹿にされやすいのは罪なのか?

良いところでもあり悪いところでもある。

馬鹿にしやすい人を見下して馬鹿にする人の方が、よっぽど馬鹿だと思うのは私だけだろうか?

 

 

ただこれだけは言えるぞ。

金にこすいヤツはダメだということだ。

皆、人の金の使い方ってちゃんと見ているものだ。

払うべきところに払わず、千円単位の金をケチるような人は間違いなく信用されていない。

信用があると思っている人がいるとすれば、見せかけの信用だ。

それこそ、利用価値があると思って近づいているだけに過ぎないと思う。

もう一つ言うならば、お礼と謝罪ができない人もダメだ。

大人としても、商売人としても、仕事人としてもダメだ。

なんか書いていると腹立たしい気持ちが吹っ切れてきたぞ。

当たり前のことなのに、当たり前のことをしてもらえないのは私にも原因がありそうだ。

さっきの話に戻るが、やはりいいカモとして馬鹿にされているのだろう。

私は純粋でも何でもないが、馬鹿にされやすいのは事実。

私みたいな人がこの世にはいると思えば安心する反面、やるせなさを感じるのも事実。

かといって、私からそんな人々に対してアドバイスすることは今のところない。

なぜなら、所詮は傷のなめ合いになるだけだからだ。

ただ、傷付いて悔しい想いをすることがあるということだ。