当然のことながら嘘を付くことだってあるし、感情を隠すことだってある。
だけど悲しいかな私みたいなヤツは俗に言う『馬鹿正直』に分類されるのだろう。
どうやら正直者は犯罪者にさせられるしかないそうだ。
PANTAがそう歌っている。
どんな時嘘を付くかは明確だ。
自分の正体がバレそうになると、私は嘘を付く。
しかし、嘘付き切れないことがある。
それは身体が正直なのだ。
だから抑うつ症状に悩まされたりするのだ。
そして、好きな人にしか心を開かなかったりする。
それは馬鹿正直というか、正直者の最たるものだろう。
本当の偽善者は、誰にでもおべんちゃらを使える。
しかし、馬鹿正直なヤツの方が人を見抜く力に長けていたりする。
偽善者は、自分の嘘が通用すると思っている愚か者なので、人の嘘を見抜けなかったりする。
その代わり偽善者は自分がニセモノだから、常に人間に怯えている。
時には全ての人が正直者に見え、また、偽善者に見える。
正直者は自分が正直だから、人を疑うことが少ない。
だから、懐疑心を持たないので生きやすいとも言える。
とても不器用で騙されやすい局面も多々あるが。
先にも書いたようにPANTA曰く、正直者は犯罪者にさせられるしかないようだ。
確かに正直者は罪である。
偽善になれないことは、時として狂気である。
だけど、人間はその狂気に救われることがある。
自分の本質と照らし合わせることができるからだ。
寂しさを隠せず、限界が訪れた時、正直者は犯罪を犯すのだろう。
なんて悲しい運命なのだろう。
でも私にはPANTAの言わんとしていることはわかる。
私くらいになると、正直でいても嘘をついても自分を責めることになる。
生きるとは本当は悲劇である。
自分を信じられない者は、世の中を信じられない。
私からするとそれが一番の悲劇だ。
本来ならこの世は美しい。
人間は悲しみと寂しさを抱えて、優しさが生まれるのだから。
優しさに満ち、幸せが充満していておかしくはないのだ。
しかし、そうじゃないのは、皆、上手く嘘が付けないからさ。
そう、笑顔が引き攣るのは、正直者だからだ。
故に、この世から犯罪は消えない。
それと同時に、美しさがほころびることもない。
人間一人が生きることですら美しい悲劇なのだから、人間の集合体であるこの世は美しさと悲しみで満ちているのである。
そうそう『天下一品』を探しても探しても見つからない。
池袋の街を散々歩いたが、どこへ行ってしまったのだろう。
これは、一人で天下一品へは行くなという合図なのかも知れない。
ネットで調べてみたが、いまいち場所がわからない。
これは一人で行こうとするのは止めて、先輩が連れて行ってくれるのを待とうかな。
そんなことを考えながらいつも通り街を歩いていたらひょんなところに『天下一品』を発見してしまった。
あれ?
ハイボールの看板がなく、席はカウンターのみ。
なんだ、先輩と行くような雰囲気ではない。
じゃあ一人で行こうと思った。
だとしたら、先輩とはどこで飲むんだろうか?
池袋駅周辺の居酒屋か?
それともいきなり先輩の家に行っていいのだろうか?
いやいや、ダメでしょう。
男を誘うってこんなに難しかったっけ?
バッドトリップから一夜明け、私は薬を飲まなかった。
すると、中盤から一気に元気が出てきた。
テンションも高め、饒舌にもなり、お客さんとのコミュニケーションも取れるようになった。
しかし、件数は上げられなかった。
何故だろう。
何が悪かったのだろう。
タメ口女は、どんなことがあってもきっちり数字を出している。
弱味なんて一切見せない。
私からはその姿は誰にでもおべんちゃらを使える謂わば偽善者にしか見えない。
カッコいい女か?
それとも可愛げが無いか?
私はただの馬鹿正直なヘタレでしかないが。