nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

喜怒哀楽を隠す癖

先日私に恋愛相談をしてきた上司がこう言った。

 

「橋岡さんみたいに信頼できる人を研修に連れて行きたい」

 

普通なら喜ぶのだろうか?

信頼していると言われたからだ。

私は逆に少し不信感を抱いた。

なんでわざわざ『信頼』なんて言葉を出すんだ?

かえって信頼されなくなるのに。

 

 

私ぐらいになると、翌日は研修だと思ったら余裕ぶっこいて、また一時間半ほど軽く飲んできた。

何とか日付が変わる前に帰ってきたが、これを書いているうちに、また真夜中になってしまう。

でも研修なら、なんとかやりこなせるだろう。

そんな甘ったれた考えがよぎりながらも、明日のことを心配していた。

だからあまり飲まなかった。

ハイボールを極めて薄くしてもらって、それをチビチビと飲んだ。

ベトナム料理の店へ行ったのに、ベトナム料理が一つもなく、チャーハンとサーモン刺を食べた。

日曜日の夜だったと云うのに、行きたかった店は満席だった。

だからその階上のベトナム料理店に入ったのだ。

激混み店があるかと思えば、ガラガラの店もあった。

それを見れば、その店の質がわかるのかも知れない。

 

 

ふと思ったのだが、研修を受けるということは、私の契約は継続されるのだろうか?

確かに気づけば、そろそろ契約満了の時期。

それなのに研修だから、会社としては契約を延長したいのだろう。

だから、私に対して『信頼』などという言葉を使っておべんちゃらのようなことを言ってくるのかも知れない。

辞めてもらっては困るのだろう。

実は、十五日の夜にドコモの担当者との面談がある。

そこで全てを決めようと思っている。

確かにこの生活は疲れるのだが、小一時間飲んで帰る余裕が生まれたということは、少しは慣れてきたのかも知れない。

それを手放すのはとても勇気の要ることである。

ドコモへ行けば、経験はあるとはいえ昔の話。

真っ新の新人として入ることになる。

何となく、新しい職場に抵抗を感じる自分がいる。

人間関係も似たようなことが言えるのかも知れない。

慣れた人はやはり心地が良いものである。

ゼロから関係を構築するより、ある程度お互いを知った仲の方が断然気楽だ。

だから疲れている時は、慣れていない人とは飲みには行かない。

やはりエネルギーを消耗するからだ。

 

 

私はどちらかというとあまりコロコロ表情を変えるタイプでもなく、飲んでいてはしゃぐこともない。

反応が悪すぎて、楽しくないと勘違いされることもある。

ただ、自分の胸のうちを悟られまいとしてポーカーフェイスを気取っていることも多々。

何でも言葉で表現しろと言う割には、私は『態度』で示さないかも知れない。

楽しいの?と訊かれれば、楽しいよ、と答える。

それが全てであり、以上でも以下でもない。

たまに遠くを見てしまうのは癖と照れ隠しみたいなもので、深い意味などなかったりする。

百の喜びを百の笑顔で返す人だと思われがちだが、全くそんなことない。

あたかもゼロだと思わせるように空のジョッキに目を遣るが、心は高揚していることがある。

そういう時は、手が震えているか、足を組み替えるか、耳が赤くなっているはずだ。

そうして素知らぬ顔を装うのである。

そんな時、まるで嘘を付いてしまったような罪悪感に浸る。

真夜中歩きタバコをして、終いには吸い殻を溝に捨てたような心苦しさ。

どうか神様お許しくだされ。

このような粗相が明日の契約に響きませんように。

などと祈るくらいなら、罪悪感を抱くようなことはしなければいいのだ。

 

 

そんな私は一人になると考えるのである。

人前で素直になることの難しさについて。

言葉で表現するのは難しいことだけど大切だと言うのなら、遠くを見て喜怒哀楽を誤魔化そうとする癖もやめればいいのに。