nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

隣人を大切にするとは?

会社にいるととても考えてしまう。

隣の上司から恋人の相談を受けてしまった。

だが、私は適当なことは言わずに、相槌に徹した。

自分のことを訊かれるのが嫌だったからだ。

恋人はいますか?

好きな人はいますか?

みたいなことを訊かれるのがすこぶる面倒臭さく感じるからだ。

SNSを教えてくれと何度か言われたが、やんわりときっぱりお断りした。

私の貴重なプライベートであり、職場の人とは一線を保っておきたいからだ。

きっと隣の上司は、色んな人に恋人の話をしているのだろう。

だから、私は敢えてアドバイスなどしなかった。

真剣に相槌を打ち、適当に流した。

それは、隣人を大切にしていないことに繋がるのだろうか?

私にとって隣人とは誰だ?

そんなことを半日以上考えていた。

私って人を大切にしていないのだろうか?

 

 

大事な人のことは大事な人。

だけど、私は万人に優しいようでそうでもない。

自分のことを知って欲しい人と知られてたまるかみたいな人がいる。

知って欲しい人とは、自分のことや他人のことを知ろうと努力している人かも知れない。

そして、自分に厳しく他人に優しい人かも知れない。

いや、違うね!

私のことに興味がある人だ。

そういう人には私のことを理解して欲しくなる。

聞いて聞いて、もっともっと、って。

ところがその先に不穏な空気が流れたら、途端に心を閉ざしてしまう。

そして思うのである。

人と人がわかり合うことは難しいとね。

 

 

なんだか旅から帰った私は少々感傷的になっている。

無性に人恋しく、寂しさを感じる。

仕事をしていても、街を彷徨いていても、自宅に帰っても。

それなら誰かに連絡すればいいのに、一人でいたいみたいだ。

またプロントでハイボールを飲んでいる。

それすらも有意義には感じない。

なんだか、アップダウンが激しいような。

テンションが高い時とそうじゃない時の差が激しいかも。

まぁ、それは今に始まった話ではないのだが。

 

 

少しだけ話をしようか。

これでもかというくらい、何度も何度も私の『想い』を説明してもわかってもらえず伝わらないことがあった。

そのことがあってから、私の中にある何かが不調である。

怒りさえ湧いてしまった。

私は『言葉』を重要視している。

言わなくてもわかるということはないし、大事なことは言葉で伝えなきゃならないと思っている。

例えば、先の話や目標の話、将来のことは明確にする必要があると思う。

明確にしておかないと、船を漕ぎようがないからだ。

人生が掛かっているから尚のことである。

 

 

もっと言おうか?

私と人生を共にしたいと言うならば、明確にしないでどうする?

なぜ言葉で伝えられない?

言わなくてもわかるだろって、なくない?

私なら付き合う前から結婚の文字を出して、相手を口説くかも知れない。

結婚前提に付き合ってください、となぜ言えない?

言わなくてもわかる?

どんだけ自信満々なんだよ!

言葉で伝えられない人には、ぶっちゃけ着いて行きたいと思えない。

まぁ、そんなところかな。

 

 

だから今の私は人に優しくなれないのか?

そんなことはない。

きっと色んな意味で混乱し、虚しくなっているのだろう。

こんな時、やはり想うことは、誰かにとってのスペシャルでいたいということかも。

そして、私も誰かの胸に飛び込んでみたい。

抱きしめられるだけではなく、将来を語り合えることが重要だ。

沢山いそうでいないみたいな。

今年はいい年だから期待しているけれど。

 

 

そんな私は昔の男から貰った鞄やジッポを捨てられない。

決して未練があるわけではない。

それでもやはり隣人に冷たいのだろうか。

だから、隣人って誰のことだよ!

皆んな、隣人じゃないか。

じゃあ、皆んなの胸に飛び込んでみようか。