nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

距離を置きたいわけ

疲れたけど、めちゃくちゃ楽しかった代官山。

目に映る風景が美しすぎた。

食べるものも飲むものも美味しすぎた。

埼玉にいてはまず見ることができない景色。

感動しっ放しで、写メも沢山撮ってきた。

一緒に行った友も、沢山気を遣ってくれて、私はハッピーだ!

帰ってきてパソコンに向かおうとしたら、スマホにバースデーのライブ映像の動画が流れた。

なんだかチバさんにお帰りと言ってもらったみたいで嬉しかった。

飲み足りないかな?と思ったが、すこぶる飲んで帰ってくるには遠すぎる。

足りないくらいで帰ってきて正解だった。

端から端まで移動した気分。

ブーツだったから余計に疲れたのかも知れない。

翌日からまた仕事が始まるかと思うとゾッとするが、私にはいい友達がいるんだなと思うことができた。

それだけで、とても幸せだ。

また行きたい!

 

 

散策の途中でこんな話になった。

 

「恋人同士が距離を置こうとする最大の理由は何かね?」

 

しばらく考えてみたけど、私はこう答えた。

 

「精神的に有利な立場にいる方が、外の空気を吸いたいと思って発する言葉」

 

好きで好きで仕方がない立場の人は、距離を置くことに恐怖を感じると思う。

距離ができることに、不安を隠せないはずだ。

それなのに距離を置こうとするのは、相手が自分にべた惚れであると踏んでいる側。

多少距離を置いても関係性は壊れないと思っている。

もしくは、冷却期間が欲しいのか、他の人と比較したいのか。

いずれにせよ、距離を置きたいなんて言う人はロクな状況ではないということだ。

私だったら、「終わったな」と思ってしまう。

愛し合う二人にとって、距離は縮めるものであって離すものではないからだ。

距離を置きたいなんて言われたら、悲しみに打ちひしがれるか、シラケるかどちらかだと思う。

 

 

私だったら、距離を置く=別れるになってしまう。

中途半端なことはできない。

そうそう、相手が自然消滅を狙っているとわかった途端、こちらから別れてしまうと思う。

自然消滅に付き合えるほど、私は暇じゃないし、困ってもいない。

そんな時間の無駄のようなことをするくらいなら、全力で愛してくれる人の元へ行った方がいい。

片想いするなら、チバユウスケだけでいい。

やはり相思相愛の恋をしなきゃ意味がないと思う。

過去に辛い別れがなかったと言えば嘘になる。

しかし、時間が経てば女は案外サッパリしているかも知れない。

想い出に変えられる日が、割と近かったことを実感している。

 

 

四十二年間も女をやっていると、それなりに恋愛の酸いも甘いも嚙分けられるようになる。

距離を置きたいなんて言われたら、私ならフラれたと思うだろう。

それに、そんな言葉を口にする人は無責任で優柔不断でズルい。

本当は悪者にならずいい人のまま別れたいだけのくせにと思ってしまう。

てなわけで、この話題は話が尽きることなく、今回の代官山でのメインテーマになった。

帰りの電車の中で、今日は何を書こうか考えていた時に、これしかないと思った。

それにしても、いるんだよ!

距離を置きたいとか言う人々が。

傍から見ていて、さっさと別れろや!と思ってしまうのは私だけ?

片方が別れたいと言っているのに、いつまでもしがみ付いている人もいるよな。

そういう場合は、距離を置くという言葉が成立するかも知れない。

俗に言う別居というヤツだ。

しかし、今回のテーマはあくまで恋人同士に限ったもの。

早い話、距離を置きたいと言われたらショックである。

先にも書いたが、私なら、「あ、フラれた」と思うけどね。

 

 

帰りの電車で座れたことが救いだった。

念願のお香立てを買うこともできた。

記念になるものが欲しかったから丁度良かった。

たまには都会で遊ぶのも良いものだ。

上野、北千住辺りはなんとなく落ち着くけどね。