仕事帰りにスーパーで寿司買ってきて食べたところだ。
うかつなことに、写メを撮り忘れた。
まいっか、と共にこれを書き始めている。
毎度の如く、赤ワインをチビチビやりながら。
日曜日は渋谷や代官山へ出掛けるので朝早い。
サクサクとこれを書いて、早めに寝たい。
疲れてはいるものの、チバユウスケを聴いているのでテンションは悪くない。
やはり夜になると寒いので、暖房を入れた。
最近はリフレッシュはできているが睡眠時間が足りない。
何も予定のない休みが欲しいが、長時間寝られるとは限らない。
来週は三連休があるので、インスタライブをやる予定。
十二日土曜日の二十時からだ。
もしかしたら、飲みに出掛けてしまっている時間帯かもね。
ただ、都合が合う方は、楽しみに待っていて欲しい。
ところで「類は友を呼ぶ」と思ったことはないだろうか?
まぁ、私に似ている人など存在しないのだが、同じ匂いのする人はいる。
きっと私が引き寄せたんだと思うこともある。
似たような人を好きになることもある。
それは男女問わず、私は孤独な人に惹かれる傾向がある。
しかし、深掘りして行くと、孤独な人には理由があると思ってしまうこともあるわけで。
この人のこういう部分が災いとなって、孤独になってしまったのだろうなと。
私の場合は強烈な個性が仇となり「友達」というものを作るのに苦労した。
今でこそ、私のキャラは愛されているのだが、昔は全く理解されなかった。
彼氏になる人も強烈な個性を持った人だった。
ところがそういう人は世の女性が放っては置かないのである。
大体奥さんや愛人がいた。
それでも諦めきれないくらい好きだった人も中にはいた。
その人の何もかもが好きってああいうことを言うんだなと思う。
そんな人、人生の中で二人くらい。
話を元に戻す。
「類は友を呼ぶ」
私は「類を友を呼ぶ」と言える人しか引き寄せていないかも知れない。
全てではなくともどこかしら「類」を思わせる人が多いということだ。
同じような音楽を聴いていたり、同じ土地の出身だったリ、思考を合わせてくれる人だったりね。
顔つきや目つきまで似ている人はいない。
これは私特有のものであり、極めてオリジナリティである。
もっと分かり易く言うならば、完全なる個性だ。
誰にも渡してたまるか!
かといって、気に入っているわけでもないのだが、個性は際立っていると思っている。
「類は友を呼ぶ」って、やはり内面的な要素がデカい。
どんなことを志し、どんな夢を掲げ、どんな暗い過去を持ち、どんな闇の中を彷徨ってきて、どんな光を見つけたのか。
それを私なら「同士」と呼ぶ。
歩いてきた道は全然違えど、似た者同士と言える人もいる。
そういう人と一緒にいると心が落ち着く。
逆にそうじゃない人と一緒にいても、わかり合えない分、ギクシャクしてしまう。
私は「同士」と同じ空を飛びたい。
そうしていられるうちは、私は孤独とも呼べないかも知れない。
一見すると孤独なのだが、実際は私を知る多くの友と、手を繋いで大空を飛んでいるのかも知れない。
しょっちゅう寝坊する私だが、仕事に遅刻したことはない。
だから他人にもついつい厳しくなってしまう。
待ち合わせに来ない人は嫌いだ。
私は時間はきっちり守るから、時間にルーズな人は「同士」ではないよな。
そうやって私は「類」みたいなものを選別しているのかも知れない。
あ、この人は「類は友を呼ぶ」、この人は違う、みたいなね。
もういいよ、っていう瞬間って「類は友を呼ぶ」が通用しなくなった時かも知れない。
仲間であり同士だと思っていたのに、そうじゃなかったと知った時にたもとを分かつのかも。
私は「同士」と大空を飛んでいられるうちは幸せ。
これからも手を繋いで大空を飛んでみようよ。