どうやら雨が上がったようだ。
でも天気予報変わってんじゃん!
ずっと雨。
せめて週末は晴れて欲しかったのに。
この週末を楽しみに仕事をしていたようなもの。
とはいえ、私は仕事が段々と楽しくなってきた。
何故なら、一つ叱られるたびに、一つ学んできたからだ。
徹底的に自分の弱点を潰していたら、段々と仕事が面白くなってきた。
少しずつ周りが見えてきて、先輩方の言っている意味もわかるようになってきた。
これを「活きている」というのだそうだ。
そもそも窮地に追い込まれた私に天が授けてくれたのが介護職である。
半年前は、『ロックンローラー』の制作や販売でそれなりに生き生きとしていた。
ところがその作業が楽しすぎて、これが終わったら私はどうなってしまうのだろうという不安だらけだった。
何を励みに生きて行けばいいのかわからなくなっていた。
もしかしたら、私はこの頃頼りない顔をしていたかも知れない。
それがどうよ。
散々追い込まれた挙句、七月に入って突如私の目の前に現れたのが介護という仕事。
運命っていうものはこのようにして現れるものなのだと悟ってしまった。
だとしたら、出会いというものは案ずるより産むが易し。
心配しているよりも案外難しくないということだろう。
そう考えれば、心配事など何も持たなくていいような気がしてくる。
だって、介護職に関しては、視野にも入れていなかったからだ。
ところが実際にやってみたらどうだ?
優しい利用者さんを初め、優しい先輩方のお陰もあってめちゃくちゃ楽しませてもらっている。
見事にハマったと言っても過言ではない。
この調子で誰かにハマればいいのだが。
私は天のことだけを信じ、天と対話しながら、天の言うことだけを聴く。
それは即ち、人間様の言うことは聴かないということに等しい。かといってイエスマンばかり集めているわけでもない。
「蓮さんは反対意見を聴かない人だから」
そう言われたことがあるが、私に言わせれば反対意見など単なるお節介に過ぎない。
自分と意見が異なると思ったら黙ってスルーすればいいものの、上から目線で理路整然と正論をぶちかましてくるヤツがいる。
こちらとしてはご丁寧にありがとうございますとは言っているものの、ウザいオーラが出ているのかも知れない。
すると相手はシャクに障るのだろう。
ただそれだけのことである。
どちらが悪いもクソもないのだ。
私から言わせれば、お節介は望んでいないというだけの話だ。
それにしても天が友達、天が恋人、天が師匠というのは如何なものか。
やはり生身の人間が友達で、恋人であるべきだろう。
しかし、師匠は要らないと思っている。
天の声が聞ける人ならまだしもだ。
スキルなど情報など、私は必要としていない。
天に従っていれば、自ずと道は開けると思っている。
それは自然との対話かも知れない。
自然を愛し、宇宙を愛し、空を愛することが基本なのかも知れない。
だとしたら、天というのは自然の一部である。
輝く星空と一番近い場所はどこなのだろうか。
都会にいるとそればかり考えてしまう。
仕事帰り空を見上げても、星は見えないからだ。
月や星と一体になった時、私は耳を澄まして天の声を聴く。
天は私にこう言っているのだ。
「今は待て!」
迷いがあるうちはタイミングではないということだ。
それを信じ、タイミングが来るまで思い切り悩もうと思う。
決してそれは無駄にはならないから。
満を持して来るべき時は来る。
空が澄み渡るように、答えが導き出される時が来る。
答えが出なくても焦る必要はない。
案ずるより産むが易しだからだ。
答えが出る時は、いとも簡単に答えに導かれる。
だから今はでんと構えていればいいのでは?
とにかく冬を超えることだけ考えよう。
遠い将来を憂うことなかれ。