病院の待ち時間に日高屋で汁なしラーメンを食べ、診察が終わってから本屋へ寄った。
病院は、暮れということもあって大変混み合っていた。
担当医には、介護職を辞めたことを手短に伝えた。
滅多に表情を変えることがないのに、とても穏やかな顔をしてこう言った。
「疲れたね、疲れたでしょう。ゆっくりと休みなさいね」
あ、この人はやはり医師だったのかと思った。
いや、人間だったのだ。
感情は持っているのか?と疑うほどクールな医師だったからだ。
いつも淡々としていた医師だが、それなりに心配してくれていたことになる。
私が介護職を始めた頃は、今にも怒り出しそうになっていた。
いやいや、あんたに関係ないでしょ!と思っていたが、心配だったのだろう。
話したいことは山ほどあった。
一番はこれからの仕事のことだ。
年が明けたら、そろそろ医師と相談しながら新しい仕事を始めたいと思っている。
作品制作に支障をきたさない程度に。
一番大切なのは、人間関係かも知れない。
新しい人と会うのはそれだけで疲れてしまう。
何故なら、私などはどう見られるかわからないからだ。
私のことをよく知る人は、変わり者だと受け入れてくれるだろう。
そうじゃない人は、大抵ビックリするのだ。
なんだ?こいつは?みたいな。
私は幾つかハンデは背負っているが、責任感が強く真面目な人間である。
若かりし頃はヘマをしでかしたが、今は極めて常識的だ。
ただちょっとネジが二、三本緩んでいて、闇の深さゆえこの世が輝いて見えているだけだ。
そのことについて医師がどこまで把握しているのかはわからない。
本当ならば、五分でいいから話を聴いてもらいたい。
しかし、あまりにも混み合っていたので、遠慮してしまった。
本屋へ寄るのは久々だった。
吟味に吟味を重ねて、三島由紀夫と又吉を選んだ。
三島由紀夫は文体と描写が好きで、我が家には何冊もある。
まだ読んでいない本もあるのだが、読書というものは気分とタイミングである。
運命的なものもある。
タイミングが訪れていない時は、まだその本を必要としていないのかも知れない。
かといって、もっと早く読んでいれば良かったと思える本もある。
見極めが肝心だ。
私はこのタイミングで三島由紀夫の小説を手に取ったことには運命的なものを感じた。
最後まで読むのが楽しみである。
又吉については、帰り道ドトールに寄って三十ページくらい読んだ。
芥川賞受賞作ということだが、私にとっては三島由紀夫の方が読みやすい。
とはいえちまたで評価された本には興味があった。
友達が貸してくれた恋愛小説もあるので、今年の正月は読書三昧になる。
過去作の編集・校正をしているので、確実に退屈はしないだろう。
それにしても、書くことしかやることがないって贅沢な悩みだよな。
もっと言うならば、書くことしかできないなんて、それこそ贅沢な悩みだ。
書くことどころか読むこともできない人間で溢れかえっているのに。
天から与えられた『天命』を快く受け取り全うしてこそ私が活きるのに。
些細なことでネガティブな方向に路線変更しようとしてはダメだと思った。
先日飲み会で、自分の良いところを五つ挙げよと言われた。
「無頼」「孤高」「勇敢」「崇高」「人気」
私はそう答えたのだが、自分で自分のことをそう言えることは凄いことだと。
いや~、蓮さんはそれなのにたまにメソメソしやがって、贅沢な悩みだとね。
普通、自分のことを「人気」とか言える人はなかなかいないそうだ。
そう思えることが本当に贅沢な悩みなんだそうだ。
確かに、私には「書く」という使命がある。
それだけで十分じゃないか。
他の全てを犠牲にしたって、書くことがあるだけマシだと思う。
天が授けたそれに対して代償を払う価値がある。
何となく、腑に落ちた。