やるべきことが山積みなのに、何から手を付けていいのやらさっぱりわからなかった。
薄暗い部屋でボンヤリと三島由紀夫の小説を読みながら、伏せてはパソコンに向かい、また手にとっては伏せるを繰り返している。
ハッキリ言って、挫けそうになることの連続。
ここが闇ではないというのなら、一体どこだというのだろうか。
希望とは想像の中にのみ存在している。
私が勝手に創り上げた所謂一つのゴール。
それだけが希望である。
こんな時、電話が鳴れば一人じゃないと感じることができる。
静かな時は、置き去りにされたような気分になる。
一人じゃないと思い込むこともまた勇気であり、意志であり、才能だ。
覚悟とも言うかな。
そんなことを考えながら軽く電気ブランを飲んでいた。
化粧もしないで立ち飲み屋へ寄って、ソーダ割りを二杯飲んで帰ってきたところだ。
なんだか自分で言っておきながら『気合い』入れることばかり考えていたら少々疲れてしまった。
たまにはメンタルの休憩も必要だと思った。
こういう時はゴールだけ見据えればいいのではないだろうか。
明日、明後日、一ヶ月後のことを考えると苦しくなる。
九月に発売することだけを考えれば、なんとなく一日をやり過ごすことができる。
隣りに私みたいなヤツがいたらどうだろうか。
毎日のように『気合い』の入ったことばかり言っていたら、何だコイツと思ってしまうだろう。
そんなことを思うと、ベソを掻きたい気持ちになって、不貞腐れて、電気ブランを飲んでいたわけだ。
コンビニでおにぎりと野菜ジュースを買って自宅まで歩いていたら、とある人からメッセージが来た。
彼女は結婚がしたくて結婚したらしい。
まぁ、そういう人が大半かも知れないが、私は違う。
その人のことが好きすぎて誰にも取られたくないと思ったら結婚する。
私の周りにいる人は、結婚して幸せになって欲しいそうだ。
「とはいうものの、蓮ちゃんは専業主婦になれるたまでもないからねぇ」
などと言って笑っているが、普通に主婦ができる女だったらとっくにどこかに収まっているはずだ。
恐らく未だに一人でいるのは世の男性のせいではなく、私に原因がある。
そんなことを突き詰めて考えると、とことん暗くなるような気もする。
男のせいにしているくらいで丁度いいのかも知れない。
しかし、当本人が自分に疲れてしまっているのだから、相手だって疲れるに決まっている。
気をつけなくちゃ、などと考えている。
そうそう、一番怖いのが『空回り』することかも知れない。
とはいうものの、私くらいの旅人になると、一体化は求めてはならないのではないだろうか。
浮いていてなんぼかも知れない。
まぁ、私に原因があるとは言ったものの、私はこう見えて遊び人ではない。
遊びで恋愛をするという概念がない。
だから傷つくことも多々あった。
本当に優しい人は、傷つけてはいけない人を知っている。
これ以上傷つけちゃいけないとね。
そういう人に守られて生きることができているだけ幸せなのかも知れない。
一人、家にいても多くの方から守られていることがわかる。
それは一度や二度しか会ったことのない人だったり、まだお会いしたことがない人だったり。
彼ら彼女らは、私の幸せを望んでいる。
ただ、幸せの形が誰にもわからないというだけの話。
どこへ行き、何をすればいいのか。
そろそろそんな日は訪れるということはわかっている。
遠くはないだろう。
希望とは想像の中にのみ存在している。
現実とは、想像を超えて自分に引き寄せるものである。
今はただ、闇が深すぎて何も見えないだけ。
ゴールだけが、この先にある。
それだけが明確な事実。