nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

その覚悟、全うせよ!

実は座布団を一枚アマゾンで買った。

これが自分へのご褒美だった。

長時間座りっぱなしの私にとって、特別なものとなった。

少しは身体への負担が軽減されるような気する。

これから埼玉県内でちょっとした忘年会が開かれる。

当初三人でひっそりと行われる予定だったが、大勢来ることになった。

人混みは大の苦手なのだが、二度と会えない人もいるかも知れないのでこれはこれで楽しみにしている。

 

 

私は概ね覚悟を決めている。

ダメ男に引っ掛かるくらいなら、このまま一人でいいとね。

その方がいい文章が書ける気がしてならない。

守りに入っているわけではない。

その辺の奴等に興味がなくなったのだ。

壮絶な過去を持ち、壮大に生きている人しか私のパートナーにはなり得ないと思ってしまった。

況してや、私には抱えているものが沢山ある。

それらを一緒に背負ってくれる人なんているわけがないというのは悲観的思考なのだろうか。

夢っていうものは、期待して裏切られることの連続かも知れない。

何がなんでも叶えたいことは、たった一つのように思えてならない。

たった一つに絞れない人は、それなりの結果しか残されていないように思う。

実は、私は一度結婚を経験している。

しかし、見事に嚙み合わなかった。

それは勿論私にも責任があるが、文章を書いている私のことが許せなかったみたいだ。

自分だけのものにはならず、皆の蓮さんであることを理解していなかった。

にも拘らず、私は私で、私のことだけを見ていて欲しかった。

お互いの想いはチグハグだった。

あんなに苦しい想いをするならば、一人で寂しく生きていた方がマシだと思ってしまう。

約三年間の結婚生活は、スランプとの闘いでもあった。

とにかく文章が書けなくて、詩を書いたり三人称で遊んだりしていた。

何故なら、正直に書くことを禁じられていたからだ。

それは並々ならぬストレスだった。

今年の一月に離婚し、再び伸び伸びと書けるようになった。

もう結婚しないのか?と色んな方から訊かれる。

私としては結婚のいい面と悪い面の両方を味わってしまったからなんとも言い難い。

今になって思うことは、嫌いではなかったということ。

私は人を嫌いになることができないのかも知れない。

離れることはあっても、これといって嫌いなわけではない。

当然、恨むこともない。

人を嫌いになるって、莫大なエネルギーを必要とする。

エネルギーの無駄使いはしたくない。

それに尽きる。

 

 

私が望む私とは、ババアになっても無邪気でいることだ。

やはりそのためには自由と孤独が付き物のような気がしてならない。

そう、自由と孤独。

パートナーがいることは心強いことではあるが、自由とは掛け離れるようにも思う。

楽しいことが山ほどあるのも知っている。

結婚生活を振り返ると、いつも隣に誰かがいることが最大の幸せでもあった。

休日は、買い物や登山やキャンプへ行っていた。

ただ、私はちょっと忙しすぎた。

携帯電話とパソコンから離れられなかった。

忙しすぎると、たった一人のことすら満たしてあげられなくなる。

読んでくれる人と真剣に向き合っている私は、やはり『皆の蓮さん』なのだ。

一人の男の元で収まるようなタイプではなかった。

きっと寂しい想いをさせてしまったのだろう。

誰かに寂しい想いをさせるくらいなら、私は一人寂しい方を選ぶ。

話は戻るが、自由と孤独が必要なのだ。

度肝を抜かれるような出会いがあり、死ぬほど好きになったらその時は覚悟を決めて結婚する。

それまでは、書くことに命を燃やす。

天が私に授けたことなのだから、全うするしかない。

これから先、一人を貫いて良かったと思う場面が沢山出てくると思う。

賞を取って、世界に羽ばたくのだからね。

皆の蓮さんは、やがて世界の蓮さんになるのだ。

近い将来。