熱中症気味だけど仕事へ行き、マジでしんどかった。
ロキソニンとユンケルとQPコーワゴールドとポカリスエットで乗り切った。
四万円弱しか稼げなかったが、体調不良の中よくやったと褒めてやることにした。
マジでしんどかった。
食べなきゃ倒れそうだったのでガンガン食べまくった。
あんなに苦しかったのに、全くやつれることがなかった。
峠は越したようで、安堵している。
昼休憩中、私がとろろ蕎麦を啜っていたら隣に座っていた先輩がこんなことを訊いてきた。
「ねぇねぇ、橋岡さんって結婚願望あるの?」
なぬ?
おやおや、面白いことを訊いてくるねぇと思ったが、きっと勇気を振り絞って質問してくれたのだろうと思って真剣に応えてあげた。
「私はね、帰ってから話し相手が欲しいの」
するとタメ口ちゃんが低い声でボソッとこう言った。
「家に帰って人がいるなんてうざい」
だからさ、こういうことを言う子だから可愛くないのだ。
すると先輩がタメ口ちゃんの肩を持つように同意した。
「わかる、俺も家に帰って人がいると疲れる」
「あのねぇ、キミ達、気の合う人が家にいるなんてこんなに幸せなことはないのです」
「わかった、橋岡さんくらいになると、奴隷が欲しいんでしょ」
「コラコラ、私にとっては奴隷じゃないもん」
「橋岡さん料理はするの?」
「しないね、だから料理できる人と結婚したい」
「やっぱ奴隷じゃん!」
「違う、違う、美味しい料理を一緒に食べたいのじゃ!」
「え?橋岡さん、まともじゃん!」
そうそう、私はこう見えてまともなのである。
男を顎で使うようなタイプだと勘違いしている人は、全く私のことをわかっていないと言える。
私は全く相手に依存しない。
と云うのも、私の場合は一人というのが基本形であり、自分というものが確立されているので死ぬことすら達観しているところがある。
極端なことを言うならば、友達がいてもいなくても、男がいてもいなくても、なんとか泣きながらでも生きては行けるのだ。
多くの人は、友達がいて当たり前、旦那がいて当たり前で一人になることから目を背けて生きているらしい。
自分はいつか孤独に死んで行くということなんて、受け入れられる人の方が少ないそうだ。
私ってどういう人間なのだろうと常にアンテナを張っているので、他人に興味が無いわけではないが、許容範囲も広いのかも知れない。
そう、自分と他人の違いを許せるということだ。
すなわち、自分の人生と相手の人生をゴチャゴチャにしないので、依存したり強要したりすることもなくいられるのだろう。
それでも、やはり共に生きる人が欲しいわけだ。
目の前に広がるのは砂漠のような終わりのない世界。
無限の可能性を秘めた未来。
一人で生きるのと、誰かと共に生きるのは可能性が変わる。
一人では大体想像ができてしまう人生も、二人になれば未知になる。
もっと言うならば、人と生きる喜びと悲しみの両方を知ってしまっている訳だ。
何故悲しみを味わったかと云うのは、当然のことながら相手に理解を求めたからだと思う。
まずはこちらから相手を理解し、広い心で受け止めることができれば、自分への理解なんてどうでもいいことだと気づくはずだ。
幼少時代から今に至るまで、寂しい想いを重ねてきたからこそ、ほんの僅かな愛情にさえ感謝し、大切にすることができる。
そして、些細なことに関しては許すことができる。
だからこそ、今となっては誰かと共に生きて行ける自信がある。
腹の底から私の前で笑ってくれたら、それだけで私は満たされる。
私が自分の話をするのには訳がある。
それは相手に心を開いてもらいたいからだ。
結婚って、私にとってはそういうことなのだ。