nakanakadekinai's diary

単なる日記でもなければ、単なるエッセイでもない

限られた人の悩み

先日、下北沢LOFTまでライブを観に行ってきた。

我が家から下北沢までは約一時間半かかる。

私はずっと三島由紀夫の小説を読んでいた。

ライブ前に沖縄料理屋でオリオンビールを一杯引っ掛けた。

本当は日高屋で良かったのだが、満席で入れなかったのだ。

南口商店街には、安い食べ物屋や居酒屋が沢山並んでいた。

古着屋も沢山あったが、見る時間は全くなかった。

着いたのが二十時半、ライブ開始は二十一時だったからだ。

LOFTは以前にも来たことがあるライブハウスで、さほど広くもないし、私としては落ち着ける空間だ。

カウンターでチャージを払い、ラムコークを注文して、喫煙所に入った。

それから約四十五分のステージを堪能し、ミュージシャンの彼と雑談して店を出た。

散々音楽を聴いてきた私の目と耳に狂いはないはずだ。

きっとこの人は大物になるに違いないと思っている。

色んな意見があるが、私は応援している。

私だって、散々と色んなことを言われても自分の感性を信じてここまでやってきたのだ。

そう、今まで大物と言われる作家やミュージシャンに触れてきた私だからこそ言える。

この人も私も、間違いなく大物になる。

そうじゃなかったら、世の中が間違っているのだ。

 

 

ライブハウスを出た私は、どこへも寄らずに電車に乗った。

帰り道も三島由紀夫の小説の続きを読んでいたのだが、乗り継ぎがうまく行かず、二時間以上かかってしまった。

尋常ではない疲れと、精神的なものの異常を感じた。

というのも、ここ最近ちょっと病んでいたかも知れない。

潔癖になり、人間の表情や言葉の端々に敏感になりすぎていたようだ。

とても疲れた。

だから駆け足でこれを書いている。

これを書き終えたら、パソコンから離れ、横になりながら読書でもして、酒を飲むことなくさっさと眠りにつきたいのである。

私はかなり神経質なので、人間大好きなくせに、人間のちょっとした思考が理解できずに苦しむことが多々ある。

例えばメール一つ取っても、相手の機嫌がわかってしまう。

そんなことが塵も積もれば山となる。

ヘトヘトに疲れてしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。

ライブ終了後の雑談の中で、ミュージシャンの彼は私にこう言っていた。

 

「俺は音楽以外にできることが何もない」

「あ、それ!私と一緒じゃん、私は書くこと以外に何もできない」

 

それを聴いて私はとても気持ちが楽になった。

堂々と、書くことだけに集中していればいいのだと思えたからだ。

友人からこう言われたからだ。

 

「書けない人が大勢いる中で、書くことしかできないというのは贅沢な悩みである」

 

う〜ん、果たしてそうだろうかとずっと考えていた。

書く人には書く人にしかわからない悩み、歌う人には歌う人にしかわからない悩みがある。

当然、そうじゃない人にはそうじゃない人の悩みがあるわけで。

逆に私が何でもできたら、たぶん書くことはできないわけだ。

そう考えると、贅沢な悩みでもないような気がするのは私だけだろうか?

書かない人にとっては書くことの悩みなんてないわけだから。

つまり、人それぞれだということだ。

だったら、堂々と悩めばいいと思った。

書く人にしかわからない悩みについて、とことん悩めばいい。

それは贅沢だろうが何だろうが、人と比較するものではない。

それで人が離れていったとしたら、それは仕方のないことではないだろうか。

感性について悩むのは、芸術を志す人に共通した悩みであるようにも思う。

ここまで書いて、少しだけ霧が晴れ、見通しが良くなったような気がする。

結局、もはやここまで来たら、普通に見られることは捨てなければならない。

奇人変人が最大の褒め言葉なようにね。

自分の道を歩むということは、ある意味開き直るということでもある。

生活できるのなら、一日中書いていればいいのだ。

読書して書く。

それが私の全てじゃないか。